作品解釈の自由と脅威 写真作品読解・眼光紙背を磨く #6 孙原と彭禹の「CAN’T HELP MYSELF」(読み解き:寺澤将幸)

RPSキュレーターの後藤由美が提案した視覚芸術作品を読み解き、独自の解釈を共有する「眼光紙背を磨く」、不定期で継続しています。今回はRPSメンターシップに参加し、この読み解き「眼光紙背を磨く」にあらたなメンバーが加わりました。タイトルに使った「眼光紙背」とは、本に書いてあることを理解するだけではなく、深意に届くことを意味する四字熟語。「がんこうしはい」と読みます。この連載は眼光紙背を磨きながら、皆さんと一緒に作品を鑑賞することを目的にしています。
以下、「眼光紙背を磨く」新メンバー寺澤将幸によるご挨拶と初の読み解きが続きます。


私は18年間、新聞社でフォトグラファーを務めてきましたが、今年4月にデスクという(海外メディアでいうフォトエディター的な)ポジションに就きました。社に所属するフォトグラファーに取材をアサインし、撮られた写真の編集を主に行っています。これまでの経験から、フォトグラファーに対して取材手法や撮影技術など、テクニカルなサポートはできるのですが、逆に自分が編集者として必要な知識や技術を、体系的に学べる場に出合うことはなかったため、制作するコンテンツの表現の幅が狭いのではないかと自省を繰り返しています。
ニュース写真の仕事では、目の前で起こる出来事に際し、いかに誤解の無いよう伝えるか画面を整理して、そのピークのタイミングを切り取ることが多くなります。見出しやテキストとセットにした最良の1枚を求める傾向が強いものです。この技術は大切である一方で、ウェブの表現力が高まっている現在、海外メディアでは、写真集や写真展のように「写真をどう用いて」メッセージを伝えるかにシフトしているのも事実です。つまりこれを行うために現代のビジュアル編集者は、さまざまな表現(者)に対して幅広い鑑賞力を磨き、自分の引き出しを増やさなければならないと考えました。
そこで私はRPSの門をたたきました。メッセージ性の強いコンテンツを読者に届けるために必要な素養は何か。最善の表現方法をフォトグラファーと一緒に探るための土台を固めていこうと、取り組んでいきます。

人間味のある動きをするロボットアームが、床に広がる液体を本体の中心部へ延々とかき集める仕事を繰り返すアート作品「CAN’T HELP MYSELF」。米ニューヨークのグッゲンハイム美術館で2016年から2019年に展示されていた、中国人作家の孙原と彭禹の両氏(Sun Yuan & Peng Yu)による作品です。
http://www.sunyuanpengyu.com/article/2016/canthelpmyself.html

YouTubeを開くとその展示のようすが動画で見られます。床面のねっとりとした赤い液体は、やはり血液を想像させます。それを淡々とロボットが掃除を続けるのに不気味さを覚えますが、時折見せるコミカルな動きに、何か皮肉めいたものも感じさせます。無機的なはずの仕掛けではありつつも機械の持つ人間味と、液体のランダムな振る舞いが見飽きさせず、作品のメッセージをじっくり読み取らせる時間をもたらします。

作家本人や美術館のウェブサイトによる解説では「ロボットの果てしなく繰り返されるダンスは、移民と主権をめぐる現代の問題を提示している。ロボットの周囲に蓄積された血痕のような跡は、国境地帯の監視や警備から生じる暴力を想起させる。このような直感的な連想は、場所と文化の間にさらなる国境を引こうとする、ある種の政治的意図に導かれた権威主義の結果や、私たちの環境を監視するためのテクノロジーの使用が増加していることに注意を喚起する」作品としています。

液体は自然法則としてじりじりと領域を一定まで広げようとしますが、その法則を一時的に壊すかのように巨大なひとつの存在としてロボットが境界線を絶えず修正し、互いに無視しあって終わることがなく動く虚しさと恐ろしさ。中国という中央集権国家に生まれた作家が提示することに、さらに意味が加わっていると感じました。イスラエルとハマスの衝突が繰り広げられているさなかに見た私は、作品の持つ強力な普遍性にため息をつきました。

さて、ところが今年、SNS上で、James Kricked Parr 氏という人物が作品を次のように解釈したものが拡散されました。「このロボットは、常に漏れている作動液を封じ込めようとするようにプログラムされている。最も悲しいのは、ロボットが観客に向かってこのような『ハッピーダンス』を踊る能力を与えたことだ」「私たちがいかに生命を維持しようとして、お金のために精神的にも肉体的にも自らを殺しているか」(フェイスブック内のBanksyファンのコミュニティーへの投稿から)。

この解釈に違和感を覚える人もきっと多いでしょう。人間を例えるにはロボットは大きすぎやしないか。通常のヒトより大きな姿をしている時点で、個々人を表すわけではない「より大きな存在」と考えるはずです。そもそもJames Kricked Parr氏は一体何者なのでしょうか。これがなぜBanksyファンのコミュニティーへ投稿されたのでしょう。そして、この投稿と作品について調査するよう後藤由美さんから受け取ったURLがすぐさま削除されていました。しかし後日また同じ投稿がアップされ、ネット上で不穏な何かが起こっていると感じさせるには十分でした。

実はこれ、2021年にTikTokで同様に拡散された「作家や展示した美術館とは異なる解釈」がベースとなっています。元のTikTok投稿は既に削除されていますが、当時アップされていた動画の1つは再生回数が9,000 万回を超えていたようです。この異なる解釈のバイラル化「事件」について、欧米のネットメディアは問題視していました。

液体はロボットの作動液ではないですし、そのメタファーでもありません。私も違和感を少し抱いたものの、これを知らずにこの作品を読み取るよう言われたら、自らの血液をかき集めて続ける悲しい労働と感じ取っていた可能性は高かったです。この投稿は愉快犯のようで、James Kricked Parr氏のTikTokも稼働していません。もっともらしく、たちの悪い投稿でした。

そこで、この投稿に寄せられたフェイスブックユーザーのコメントを眺めてみます。前半はこの異なった解釈に対する批判が目立ちますが、後半になるにつれ、人間の労働に対するメタファーとして共感する声が増えます。 有識者の善意的な解釈修正があったとしても、誤情報はあふれ出てしまうことを示しています。

そもそも現代アートの作品をどう解釈するかは個人の自由ではありますし、多層的に深読みもさせる優れた表現であるともいえます。単なる愉快犯による、人の生死に関わらない情報であればましですが、これが誤情報と認識されずにインターネットを通じた機械学習に取り込まれていたらと想像すると恐ろしいことです。作品が言葉と切り離され独り歩きし過ぎないためには、作家によるステートメントや評論家による解説がいかに大切かを考えさせられる出来事でした。
SNSがなければ、どうなっていたでしょうか。自由と手軽さはもろ刃の剣でもあります。結果として、作品が多くの人に認知されたといえますが、本来の制作意図を理解した人はどのくらいいるのでしょうか。

ただ、テクノロジーを操ることで知られる彭禹と孙原の両氏がこの展開まで想定して作品を設計していたとすれば興味深いです。両氏はこれとは別に、「FREEDOM(自由)」と題して、束縛されていないホースが水を吐き出しながら暴れる作品を発表しています。
http://www.sunyuanpengyu.com/works/2016/freedom2016/freedom.html
グッゲンハイム美術館による解釈では、「ホースが一瞬にして致命的な脅威に変わる様子は、自由のある種の逆説を指し示している」と。

文:寺澤将幸
てらざわ まさゆき:新聞社にデスク(編集者)として勤める。2022年度までは写真映像記者として、日本のテクノロジーや、外国人労働者、障がい者、東日本大震災などの取材に取り組んだ。近年はデジタルストーリーテリングに力を入れる。
https://twitter.com/m_terazawa


タイトルに使った「眼光紙背」とは、本に書いてあることを理解するだけではなく、深意に届くことを意味する四字熟語。「がんこうしはい」と読む。この連載は眼光紙背を磨きながら、皆さんと一緒に作品を鑑賞することを目的にしています。

これまでのアーカイブ

#1 汚泥の中に写真の本質が隠れている?  ルーカス・レフラー「シルバー・クリーク」(読み解き:松村和彦)
https://reminders-project.org/rps/gankoshihai1jp/

#2 本に物質性を宿し、鑑賞を体験に引き上げる ガレス・フィリップス「ザ アビズム」読み解き:松村和彦)https://reminders-project.org/rps/gankoshihai2jp/

#3 戦争が生んだ副産物は牧歌的なロシアを真っ直ぐに見せてくれない アレキサンダー・グロンスキーのインタビュー読み解き:松村和彦)
https://reminders-project.org/rps/https-reminders-project-org-rps-gankoshihai3jp/

#4 薬は私たちを本当に幸せにしているのか? アルノー・ロベール / パオロ・ウッズ「HAPPY PILLS」読み解き:松村和彦)
https://reminders-project.org/rps/gankoshihai4jp/

 #5 ホロコーストを伝えるために家族の写真を燃やす サラ・ダヴィッドマンの「マイ ネーム イズ サラ」
読み解き:松村和彦)
https://reminders-project.org/rps/gankoshihai5jp/