インターン久光インタビュー第3弾 梁丞佑×後藤勝 「写真家、その数奇な人生」
RPSに7月よりインターンとして働き始めた久光が、ふとしたご縁で繋がった写真界の最新の動きや取り組みをその中心となっている人物に取材、紹介をしていく不定期連載をはじめます。
違いを認めながらも多様性を受け入れ、表現の場や作家の活動の選択肢を広げていくこと、写真を学ぶ自分自身にとっても、将来に繋がる可能性をその中から感じ取っていけたらと思っています。RPSの本来の理念や方向性とは違うものだとしても、写真を通して自己表現をしようとする人たちにとって参考になる内容を取り上げていく予定です。
今回は2017年、土門拳賞を受賞された写真家、梁丞佑さん。
RPSとは何かと所縁があり、2013年には企画展「we’re shit but champions」を開催、自身の結婚披露宴を行うなどの経緯がありました。
そして2年程前からYahoo!ニュース特集で写真監修も担当しているRPSディレクターの後藤勝。
後藤が「人間に迫るストーリー」はないかと模索している時に、ふとヤンさんの姿が過りました。韓国から着の身着のまま日本にやってきて、写真と出会ったヤンさん。苦労を重ねた末、今年土門拳賞を受賞しました。歌舞伎町などタブーなテーマが絡む企画でしたが、編集部の理解を得て、取材が始まりました。土門拳賞受賞式から始まり、新しい写真集「人」が印刷される日まで、足掛け3ヶ月に及びました。歌舞伎町での撮影、暗室作業やプライベートな自宅、そして後輩との飲み会まで撮影に出向き、今年8月に「歌舞伎町の夜を撮る-梁丞佑の数奇な人生」というタイトルで、ヤンさんのストーリーが掲載されました。
今回もインタビューという形式ではありませんが、お2人のトークイベントをレポートとし、多くの方と共有したいと思い記事としてまとめました。
梁丞佑×後藤勝 「写真家、その数奇な人生」 from REMINDERS PHOTOGRAPHY STRONGHOLD on Vimeo.
【暗室での作業】
10月28日にRPSで行われたイベント内では、Yahoo!ニュース特集で公開されることのなかったアザーカットと共にトークを行って頂きました。
ウェブメディアに載せる写真は大体20~25枚程度です。いい表情を捉えた写真や決定的瞬間であっても、それがウェブメディアに対応する写真であるかを考え、取捨選択をしなければならないと後藤は語りました。
写真には夜の歌舞伎町を写真を撮りながら徘徊するヤンさんの姿、凌ぎの人に接しているとは思えないような素振りで声をかけている姿、そして街の中のヤンさんとは別にそれらの撮影した写真を現像するための暗室作業シーンがありました。
ヤンさんは自身が卒業した学校で現在も暗室作業を行い、作品をプリントしています。
その学校では、学生は1年生の頃アナログとデジタルの両方を学び、習得をします。しかし学年が上がると手法を選択することになり、ほとんどの学年がデジタル処理に進むといいます。そのように時代がデジタルへと移行する中、ヤンさんは暗室でプリントをし続けるのです。
現像をして像が浮かび上がる瞬間は今でも喜びを感じる、暗室にいると写真が「真実を写す」ということが実感できるのだとヤンさんは言いました。ヤンさんの作品では夜のシーンが多いためにトーンを合わせるのに苦労し、13時から21時まで暗室で作業をしても1日にプリントできるのは6枚ほどだそうです。
【命をかけて写真を撮るということ】ヤンさんの作品の舞台の一つである歌舞伎町には様々な種類の人々が混在しています。そこには私たちが普段感じる日常とは違った時間が流れているようにも感じます。実際ヤンさんの写真を見たくないと感じる人や、そういった写真を撮ることができるのはヤンさん自身がその人達と仲間だからなのではないかと疑う人が多くいたそうです。そういった危険とも言える環境の中に身を投じ、それでも尚、歌舞伎町で写真を撮り続けるのは何故なのでしょう。
友人が「死」をテーマにして作品を制作途中、縊死をして誤ってそのまま亡くなってしまったということがあったそうです。その撮影された最後のフィルムを現像しようとする人は誰1人としていませんでしたが、ヤンさんだけは現像を勧めました。埋もれてはいけない写真があるのではないかと考えたことが理由でした。命をかけて写真を撮るという行為が彼女との共通点であると思っている、今でも命日になるとみんなで集まっているのだと語られました。
極限の人に対してカメラを向けるということのエネルギーの大きさは計り知れず、歌舞伎町に住む人(一般の人)と凌ぎの人どちらもを同じように撮ることができるというのはヤンさんの人柄にあり、それは稀なことだと後藤は語りました。
ヤンさんは21年間にわたり、歌舞伎町を撮影してきました。その中でトラブルにあったことはほとんどないといいます。路上に溢れる人々やそこでリストカットを繰り返す人々などは皆、寂しさを抱えている人ばかりだから、自分の話を聞いてくれる相手として私を扱ってくれる。騙す人と純粋な気持ちで話しを聞いてくれる人というものを相手は見抜いて接してくれているのだと思うと語りました。
「どの世界観に対しても分け隔てがない」ことがヤンさんの特徴であるのではないか。
「歌舞伎町だからこうだ」という、概念を持たない姿勢がヤンさんにはある。とRPSキュレーターの後藤由美は語りました。
作品を提示する多くの人は自分の世界観を押し付けようとしますが、歌舞伎町の中にいる人、1人1人を知りたいという思いがヤンさんにはあるため、独りよがりでは決してない、ヤンさんが見た歌舞伎町というものを写真化することができているのです。
【トラウマの話:嘘をつかないこと】
相手の話を聞くことだけでなく、偽りのない自分でいること、嘘をつくことだけは絶対にしたくないのだといいます。現在は違っても過去には不良だったことや、実際にカメラを取り出して撮影をしてもいいか聞いたり、嫌だったら言ってほしいという時間を与えてから撮ることにしています。それは過去のあるトラウマが原因になっているそうです。
韓国の南、田舎の村に腰が埋まるほどの雪が積もることがありました。それが原因でヤンさんの乗るタクシーが横転する事故に遭いました。ヤンさんはほとんど傷もなく、すぐに逃げようとしました。しかし目に入ったのは血だらけの運転手とその横に落ちていた50円玉でした。迷いに迷い50円玉を盗み、村に一つしかない商店でロッテガムを2つ買いました。そのすべてを口に放り込み、夕暮れになる中、村に帰りました。
すると街中では車の事故があったことや、子どもがいなくなったことが噂になっていたのです。自分が50円を盗んだことがばれるのではないかと恐れにおののき、もう2度と盗みはしない、嘘はつかないと心に決めました。ヤンさんはその事件以来、ロッテガムの甘さが忘れられないといいます。
それから3ヶ月間、村の中にいても人々をただ観察し続けるだけで撮影できない時期が続きました。そうしてようやく撮れた時、村の人になぜ今まで撮らなかったのですかと聞かれました。ヤンさんは、まだあなたたちのことを何も知らないままなのに撮ることはできないと答えたのです。
盗みをすることに恐怖を覚え、隠し撮りをすることは行為として同じことのようだと感じてから、ヤンさんはまず彼ら知ることから始めたのだといいます。自分とは違ったものを遠ざけるのではなく、受け入れて知ろうとすること。
そしてそれを公に出す時にも嘘偽りのない形で提示すること。
ヤンさんはとにかく興味を持ったものであれば何でも撮るのだと語りました。その姿勢がずばり「真を写している」のではないかと思いました。
文責・映像:久光菜津美
【インタビュー:過去記事】
第1弾「写真家のオーディション:SHINESについて」
第2弾「Gwen Leeさん:DECK、シンガポール国際フェスティバルについて」