「主人公である祖母、本人に見せる決心」(藤井ヨシカツとの最近のやりとりから)
そもそもあの作品はなんだったのか、最近の藤井ヨシカツさんとのやりとりから、こちらの記事に繋がっています。
広島を拠点に活動している写真家の藤井ヨシカツさん。「Red String」から次作「Incipient Strangers」を作り、藤井さんが東京を引き上げ地元の広島に帰り、それ以来、広島と戦争を主題に取り上げて作品作りをしているが、最新作が「Hiroshima Graph – Everlasting Flow」、お祖母様の被爆体験を基本に作られた作品。藤井さんが丁寧にお祖母様に聞き取りをして作り上げた本である。
完成したその本をお祖母様に見せることが出来た、そのときの様子を記事にしてくれたのでご紹介したい。
先日、完成した写真集「Hiroshima Graph – Everlasting flow」を、ようやく主人公である祖母に見せることができた。この写真集は広島の被爆者である祖母の被爆体験と、戦前に生まれ戦後どうやって今日まで生きてきたかを、祖母の証言と写真を組み合わせながら紡いだ作品である。正直なところ、この写真集を祖母に見せることが恐くて仕方なかった。人は「これはとても貴重な証言。価値のあることをやりましたね。お祖母さんもきっと嬉しいはずですよ。」と言ってくれる。
しかし、祖母の写った写真に傷を付けたり溶かしたりしてイメージを作り出し、自分の作品として発表することに「こんなことしてよかったのだろうか?もし祖母がこれを見て傷ついてしまったとしたら、この作品に価値なんかないんじゃないか?」と危惧し、なかなか本人に見せる決心がつかなかった。内心恐る恐る本を手渡すと、何も説明していないのに加工した写真の作品意図を理解してくれ、写真集の全てを受け入れてくれた。
そして頁を捲りながら、しみじみと「懐かしい思い出」と言っていたのは衝撃的だった。祖母にとっては原爆の辛い経験よりも、親しかった友達や家族との思い出、何を食べたかなど…生活感のあふれた記憶の方が強かったようだ。
考えてみれば、当時の子供たちにも将来の夢があった訳だし、大人は家族のために仕事をして日々の生活に一生懸命だったわけだ。当たり前のようだが、戦争・原爆=悲惨という固定概念のあった自分には目から鱗だった。
無数のガラスが突き刺さった左足の傷跡さえ見なければ、祖母が被爆者だとは誰も気づかないだろう。
普段、戦争体験を話すことは絶対にないし、悲惨な記憶は心の奥底に押し込めて生きてきたのだと思う。人は思い出を忘れる事で生きていけるのかもしれない。私が辛い記憶を思い出させたことは果たして良いことだったのだろうか。
しかし祖母の言葉からは、辛い思い出から逃げるのではなく、それを乗り越えて生きてきた人間としての強さ。人生を振り返って自分は恵まれていた、幸せだったといえる充足感。そして私の作品を受け入れてくれた器の大きさを感じた。
私は祖母から、とてつもなく重いバトンを受け取ったのだ。その気持ちに応えるべく、この写真集をより多くの人たちに見てもらう努力をしていきたいと決意を新たにした。
藤井ヨシカツ
2021年1月末日
藤井ヨシカツ写真集「Hiroshima Graph – Everlasting flow」は2020年8月に発表され、75部限定で現在もお取り扱いを行なっております。詳細はこちらをご覧ください。