木村肇 写真展「青い鳥のとまり木」延期(開催時期調整中)
【お知らせ】
6月13日から6月28日まで予定しておりました、木村肇 写真展「青い鳥のとまり木」の会期を延期いたします。
新型コロナウイルスの感染拡大が懸念され緊急事態宣言の延長も決定した現状を踏まえ、出展作家と開催時期の見直しを行い、この度の決定となりました。
現在新たな会期については調整中です。決まり次第お知らせ致します。
引き続き作家のプロジェクトの進捗などは随時ご報告してまいります。是非ご期待ください。
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この作品は1945年3月10日の東京大空襲の記憶を被災した樹木の視点を通し、史実の証人として、その存在を未来に留めようと試みると共に、残存樹木の生態を文字通り可視化しようとするプロジェクトです。
残存する城東3区の樹木はその炭化した姿とは裏腹に、被災の数年後、数十年後に新芽を吹き始めました。なぜ、その樹木が生き残ることができたのか。
歳月の積み重ねの中で、樹木それ自体が持つ生態のメカニズムが防火、耐火という役割を担うことが証明され、それに伴い、樹木の街なかに於ける存在も見直されつつあります。このプロジェクトを通し、人間と樹木、記憶と樹木の関係を考えるきっかけになればと思っています。
会期中には本作品の写真集制作も同時進行で予定しております。写真展の詳細アップデート等もFacebook等で随時お知らせいたしますので、ぜひご期待ください。
「東の星空の隙間から、大きな鳥の一団がやって来た。サーチライトの中のそれらは青く光りながら旋回を繰り返していた。
やがて枯れた木々を見つけた鳥たちは、轟音と共にこちらに近づいてきた」
1945年3月10日0時8分、ひとつめの焼夷弾が東京都江東区に落とされた。大きな翼を広げた黒い機体が地平すれすれの夜の焔口に照らされていた、と空襲体験者の男性は答えてくれた。わずか2時間半の空爆が遺した死者は10万人以上と言われている。気象庁保存の資料によると、未明の気温は3.9度、北西の風13メートル、雲量4の星空だったそうだ。
戦後75年という時間のトンネル。あのときの少年少女の記憶のうつろいは令和という年号のもとに、更に深い時間の層の隙間へと入ってゆこうとしている。
「イチョウの木が紅く紅く燃えていました。だから私はその木が焼けてゆくのを後ろからずっと見ていました。そして朝が来て、私は生きていました」
戦災樹木、という存在を知ったのは2019年の夏だった。ニュースが、3月10日の空襲の被害が激しかった墨田区、江東区、台東区の3区には未だ被災した樹木が残っている、と伝えていた。
墨田区の神社のイチョウの幹は触れると冷たかった。鱗のように黒く炭化したそれを、指でなぞるとポロポロと落ちていった。記憶のかさぶたは過去のしじまを漂いながら、現在にその姿をとどめていた。皮膚から繋がる枝の先には緑色の葉が茂っていた。噎せ返る8月の日差しが枝と葉の隙間から時より漏れていた。
「過去の街、記憶の街、その上にもうひとつの街があって、私たちは樹木というトンネルで時間を行き来しています。青い鳥はいなくなってしまうかもしれませんが、あなたが、もしも気づいたのなら、その姿を窺い知ることは出来るでしょう」
木村肇(写真家)
◎会期:延期(開催時期調整中)2020年6月13日(土)〜 28日(日)
13:00~19:00 会期中無休、入場無料
初日6/13は午後6時からのオープンとなります。
◎レセプション、およびアーティストトーク
2020年6月13日(土)午後6時~
◎開催場所:Reminders Photography Stronghold Gallery
住所:東京都墨田区東向島2-38-5
(東武スカイツリーライン曳舟駅より徒歩6分・京成曳舟駅より徒歩5分)
木村肇
1982年、千葉県生まれ。
2006年よりフリーランスとして活動。タイム、ニューヨークタイムス、ニューズウィーク、ルモンド、エスクァイア、クーリエ・インターナショナルなどにも写真を寄稿している。2016年から18年まで文化庁海外研修員、ポーラ財団海外研修員としてドイツ在住。2019年10月に写真集「Snowflakes Dog Man」がイタリアのCEIBA editionより刊行された。3月に91部の手製写真集「MIŠO BUKUMIROVIĆ」をREMINDERS PHOTOGRAPHY STRONGHOLDより刊行予定。
https://www.hajimekimura.net/