木村肇 写真展「Snowflakes Dog Man」展示レポート
木村肇 写真展「Snowflakes Dog Man」のオープニングイベントとして12月7日に開催したアーティストトークの内容をもとに作品紹介の記事を公開します。
木村さんは2015年12月に開催した第1回写真集制作ワークショップ「Photobook Masterclass」に参加し、本作「Snowflakes Dog Man」のダミーブックづくりに取り組みました。翌年には69部限定で手製版アーティストブックを製作。販売開始から24時間経つことなく瞬く間に完売となりました。そしてこの度、約4年の時を経てイタリアの出版社「CEIBA editions」より普及版を出版することとなりました。
普及版のサイズは一回り小さくなるものの、手製版とほとんど変わらない内容の仕上がりとなっています。
現在開催中の写真展はイタリアでの印刷時の刷り出しの展示と「Snowflakes Dog Man」のその後の世界観を具現化するような構成になっています。写真展の会期は12月29日まで。ぜひ会期中にお越しください。
【「Snowflakes Dog Man」について】
「Snowflakes Dog Man」は「父親」「家族」についての物語です。2011年、父親が癌になった知らせが海外で生活する木村さんの元に人伝てで届きました。木村さんは写真家として父親が生きているうちに「撮らなくては」と衝動に駆られ、日本に戻ることを決めます。そして、3ヶ月後、父親は亡くなりました。
木村さんは16歳の頃に母親も亡くしています。当時高校生で思春期だったこともあり、母親との会話は多くありませんでした。ある時、母親が検査入院しました。木村さんは「どうせすぐに戻ってくるだろう」と思っていました。しかし母親はそのまま亡くなりました。
学校に行っていたため死に目に会う事は叶わず、亡くなった母親を見てなぜもっと言葉を交わさなかったのだろうと後悔を重ねていました。
当時を思い出すように木村さんは語ります。
「中流階級の家に生まれて何不自由なく暮らした。みんなの好きなものを同じように好んで、いつでも大衆の輪の中にいたいと考える性格だった。それが普通でずっと続くものだと思っていた。しかし母親が亡くなる少し前に健康診断を受けた後、風邪と診断されたのにも関わらず咳が2週間ほど止まらないことがあった。大事をとって大学病院でのセカンドオピニオンを受けたところ、末期の肺がんであることが私たちに知らされた。最先端医療や医者とは一体なんなのだろうと疑問を持ったことを覚えている。その時からだんだん、自分の思い描いていた『普通』や『当たり前』が違うのではないかと思い始めた。母親の死は自分の周りの環境も大きく変えた。クラスの友達の雰囲気が変わった。母親が亡くなったことはクラスの話題になっていた。みんな気を使って接してくれる。しかしその優しさに違和感を感じていた。なんとなく『一般の人』から外れた感覚があったのだ。『普通』ではない自分になってしまったような気にさせた。今ならそんな考えを持たない選択肢もあったと思うが16歳で思春期でもあったことからそれ以外に考える手立てがなかったように思う。その頃から世の中から逃げたい、みんなと違うところに行きたいと心のどこかでいつも願っていたように思う。」
木村さんは母親を亡くしてから15年後、同じ状況に向き合うことになりました。父親もがんになったのです。
後悔しないために一人の写真家して父親を撮ることを選びました。自分にできることは記録することだと思ったのでした。
「Snowflakes Dog Man」は3つのパートに分かれています。「日本に戻って父親と過ごした3ヶ月」「父親がいなくなってからの日々」「家族アルバムの中の時間」。
木村さんは海外で暮らしていたこともあり、父親と会うのは久しぶりで自分の知らないことの多さに愕然としました。そして空白の時間を埋めるように日々を写し続けました。父親が一匹の黒い犬を飼っていたことを知ったのも日本に戻ってからのことでした。
父親の死後、木村さんが犬の散歩をしていた時、父親を知る人々から声をかけられたことがありました。「なぜあなたが散歩をしているのか」と尋ねられた木村さんが父親が亡くなったことを伝えると、彼らは木村さんの知らない父親の様子を教えてくれました。犬に導かれるように何気なく歩いていた散歩道は父親と犬が共に歩いた道だったのです。
自分の知らない景色に出合うたび、自分の知らない父親の様子を聞かされるたび、「撮らなくては」と感じました。父親が生きている間に記録した3ヶ月よりも「人が亡くなった後」にも続く時間の流れの中にある「なにか」が自分の中でとても重要なことのように感じたと木村さんは言います。自分のいなかった時間や、父親が亡くなってからの日々は家族であっても想像を膨らませることでしか像を結びません。「いない」ものに対して写真を撮るということがどういうことなのか、父親が飼っていた犬に導かれて気づかされました。犬は自分の知らない父親を見ているもう一つの存在だと思えたのです。
父親が亡くなる前、父親の部屋の荷物整理で見知らぬアルバムが見つかりました。アルバムの中には覚えのない家族写真と自分自身の姿の数々もありました。中には2、3年前と思われるような写真まで残されていました。突如としてアルバムを介して父親そして自分自身の過去と対峙することになった木村さんは、父親と自分の間に存在する過去に興味を持ちました。以前は「記憶」や「過去」という目に見えないものを写真でとらえることはできないと感じていたものの、犬が教えてくれた「想像することで具象化する」ことが写真にはできるのではないかと思ったのです。
【写真集の構成】
写真集「Snowflakes Dog Man」の外見は一つの直方体の箱でありながら、箱の中には大小2冊の本が収められています。元は父親の生前と死後を分けたいと考えていましたが、バラバラに分けてしまうのではなく一つの繋がりの中で物語があることを示したいと思ったことから一つの箱に収める方法を選びました。
大きい本は糸やのりで綴じられていません。もしも何かの拍子で本を落としてしまえばページはバラバラになってしまいます。拾い集めても元には戻らないかもしれない危うさは、人が感覚や記憶を拾い集めて元に戻そうとしても辻褄が合わない様子と重なります。
本の束の真ん中には薄い冊子があり、アルバム的に配置された写真とともに本の概要が詩的に綴られています。写真は断片的なイメージで、ピントが外れていたり半分で切れていたりします。これらのイメージは木村さんが父親の部屋で見つけたアルバムの写真にあったものです。半分しかないイメージの残りは小さい和綴じ本にあります。和綴本のページは袋とじ状で、通常は外側だけに印刷しますが、ほとんど見えない内側に印刷されています。
バラバラになった家族のイメージは、木村さんが思い出せない記憶であり、一方で、アルバムの中でひっそりと残っていたように木村さんの心の奥に刻まれているかもしれない家族の思い出を象徴しています。木村さんの一方的な願望かもしれません。
和綴じの本には、父親の生前、一緒に過ごした最後の3ヶ月の写真がまとめられています。「この時期のことは鮮明に覚えている。父親と過ごした重要な時間でした。記憶をしっかりと結びつけたいという思いで糸で綴っているのです。」そう語る木村さんに対してRPSの後藤由美は「初めて肇君の写真を見た時のことを思い出す」と言います。
後藤と木村さんとの出会いは2011年に開催されたトウキョウドキュメンタリーフォトグラフィーワークショップでした。その時木村さんはひとりの老人を主題にした作品でワークショップに参加していました。
そして父親の死を知ったのもまさにそのワークショップ期間中でした。肉親が死んだ時でも、今自分の目の前にある、やるべきことに徹する木村さんの姿に驚いたと後藤は振り返ります。
木村さんの父親が亡くなってすぐの頃、後藤は写真に写る男性が誰なのかわからない状態で木村さんの作品を見る機会がありました。ある時ひょんなことからその被写体が実父であることを知らされ「なんて距離を置いた父子関係なのだろう」と感じたと言います。
私的なプロジェクトをしている人は「自分の◯◯」として作品を紹介することが多くあります。家族に極めて近づくことで鑑賞者の心を掴むのです。なぜなら観る側にも父親母親がいて、自分に置き換えて作品を見ることができるからです。しかし木村さんは作品の中で「父親」のことを「Man」と称しました。「ひとりのおとこ」として父親のことを扱っていたのです。
「当時、父親と語らずに作品を作っていたことにはどんな意味があったのか」と尋ねられた木村さんはこう答えます。
「その当時も同じように何人かに尋ねられたことがあった。私は作品を人に見せる時に被写体が自分の父親であることをあえて言わなかった。しかし見せ終わった後に実は父親であることを話すといつもみんな驚いていた。
あえて距離をとった写真になっているのは実際自分が晩年の父親とあまり接することなく暮らしていたこともあり、変に肩入れをせずに記録をしていこうという気持ちがあったからだった。この作品に取り組む前に扱っていた独居老人についてのプロジェクトで対象になっていた「男性」とどこかだぶらせて制作していたのかもしれない。
あるいは心のどこかで自分の父親が弱っていく姿を撮影するためには変に感情を入れ込むとできなくなる気もしていた。昔父親と一緒に遊んでいた時のことなどを思い出してしまえば感情的になり、現状を直視する厳しさと戦わなければいけない。きっとカメラを使って写真を撮ることで感情的で弱い自分を守っていたのだと思う。自分の父親が亡くなっていくことを認めたくなかった。それが本質だと思う。人が亡くなると、目の前からその人の存在が消えてしまった、死んでしまったという事実よりもその死んでしまったのだという事実を月日の流れの中で感じていくことが自分にとっては辛いことだった。本作を制作して感じる、亡くなった後にその人のことをより知りたいと思う感覚はその反動のように思う」。
木村さんが私家版として制作した写真集「Snowflakes Dog Man」は69部限定で作られました。「69」は木村さんの父親が亡くなった年齢でした。写真集を作る行為は父親に対する葬いでもあり、生きている間にできなかった親孝行でもありました。そして写真集を通じて父親の存在を残すことで彼との時間を忘れないようにしようと思ったのです。
【「Snowflakes Dog Man」が普及版として出版されるまで】
私家版が完売となり、木村さんは「Snowflakes Dog Man」を出版できる場所を探していました。構造が複雑であることから再現が難しいことや、コスト面に関しても困難を極めましたが、理由はそれだけではなかったと後藤は言います。
木村さんは2015年11月に写真集「In search of lost memories」も限定33部で制作しています。この作品は2016年度スペインの写真祭「PhotoEspaña」でのダミーブックアワードで最終選考に残っていました。スペインの出版社である「La Fabrica」からこの作品を出版したいとの声が上がったものの、木村さんは「Snowflakes Dog Man」を出版したいと懇願しました。しかし彼らの答えは「No」。理由はコストがかかるからではありません。「『Snowflakes Dog Man』は作家が手で作ってこそ価値のあるものだ、私たちが作ることに意味はない」と。
私家版が形になったことで木村さんの中では一つの区切りになったと考えており、過去のものとして消化していた部分もありました。しかし月日が流れて2018年頃にイタリアの出版社CEIBA editionsより出版の話をもらうことになりました。RPSから出た私家版がCEIBA editonsを通して出版されたのはこれで5冊目となります。CEIBA editionsでは私家版を元にほぼ原形と変わらない外見と内容で制作されています。「Snowflakes Dog Man」は450部出版され、RPSではイタリアでの出版時に出た刷りだしを特典に100部限定でお取り扱いしております。詳細はこちらをご参照ください。
【「Snowflakes Dog Man」のその後】
写真集として完成された「Snowflakes Dog Man」ですが、4年の時間を経てこの度写真展を開催することとなりました。時間が経過した今、作品を眺めながら「いい意味でも悪い意味でも作品を客観的に見ることができている」と木村さんは言います。
当時は向き合うことができず、写真を冷静に選ぶこともできませんでした。しかし時間が経ったことで「家族」とは「共同体」とは一体何だったのか、自分自身はどういうところに存在していたのか。過去の自分が今の自分を見ているような感覚になったと言います。
写真展会場は大きく2つの構成に分かれています。刷りだしを背景に抜粋したイメージが額装され配置された右側壁面。こちらは記憶の断片を表しており、家族アルバムのページから始まり、父親の生前、死後と時間が流れていきます。中には試し刷りも含まれているため、写真集のなかには存在しないイメージの重なりや、本の構成上、偶然隣り合うことになったイメージも見受けられます。紙の白をだんだんとイメージの黒が埋めていく様は、記憶の中に入り込んでいく様子を表現しています。
刷りだしの上に飾られた額作品はフレームも木村さんが自作しています。木を組み立て、色を塗るのではなく、バーナーで焼いています。焼いていく過程で木は炭化し、指で触ると表面が剥げてしまい粉になります。剥がれた部分は光を受けてキラキラ光り、触れた指には黒い跡が残ります。記憶が風化していくこと、なにかの拍子で触れることで表面の奥にある新しいなにかが見える。その様子が自身の考える記憶の概念に近いことを感じ、これらの手法でフレームが作られました。
会場のもう半分は「Snowflakes Dog Man」が制作された初期から現在に至るまでの間で、「自分にとっての家族像はどういったものなのか」を改めて捉えなおしたセクションになります。
「家族」の言葉で思い浮かぶのは「父親」「母親」「妹」「犬」そのどれでもなく、「テレビ」だったのです。木村さんが家族で住んでいた家は、70年代80年代に建てられた郊外によくある家でした。帰宅すると台所
の扉がいつも半開きになっていて、その隙間から冷蔵庫の上にあるテレビが見えました。その景色こそが木村さんが「家族」を思い出す時に頭をよぎる原風景だったのです。
テレビがあり、その画面を父親、母親または妹が見ている。その状況に家族の存在を感じていました。木村さんは小学生の時から高校生まで、テレビっ子でした。時には食事も忘れてテレビに没頭しては母親に怒られるような日々でした。
いつしかテレビの中こそが自分にとってリアルな世界であり、周りの環境、親や家族はいて当然のものだと思い込むようになりました。
刺激的なテレビの世界にのめり込み、自分だけの世界の中で長い時間を過ごしていました。そしてそこから元の世界に戻ったら誰もいなくなっていたのです。両親は亡くなり、家族で過ごした日々は思い出すことでしか存在しなくなってしまったのです。そしていま、月日が経って自分だけがまだその時のことを浦島太郎のように語り続けていると考えています。当時、扉の隙間から見えていたテレビは自分と家族を繋ぐ大切な空間にありました。しかし、家族から自分を引き離し、別の世界に引き離されてしまいました。
写真展の会場では3mを超える衝立を家の扉と見立て、テレビがあった光景を再現しています。テレビに映るのは木村さんが幼少期に見ていたテレビの記憶を再構成したものです。そしてその横に並ぶライトボックスはテレビのスクリーンキャプチャの断片を背景に父親の影が浮かび上がります。連続されるコマの配置は脳に焼きつくように並んでいます。
木村さんは現在、新作「Mišo Bukumirović」に取り組んでいます。来夏にはReminders Photography Strongholdで発表予定となっております。
ぜひご期待ください。
写真展「Snowflakes Dog Man」は12月29日午後7時まで開催中です。
お見逃しのないよう、お越しください。
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文責・写真:久光菜津美
編集:松村和彦