藤井ヨシカツ 写真展「Hiroshima Graph – Rabbits abandon their children」8/11 ~ 8/26まで
Reminders Photography Stronghold 2018年度企画展第3弾は、藤井ヨシカツ写真展「Hiroshima Graph – Rabbits abandon their children」を開催いたします。
終戦とともに毒ガス製造工場も稼働停止されたことから、8月に本展を開催することなりました。
Hiroshima Graph – Rabbits abandon their children
大久野島は広島県竹原市忠海町の沖合いに浮かぶ周囲約4キロ程の小さな島で、戦後放たれた数羽のウサギが瀬戸内の温暖な気候の中で繁殖し「ウサギ島」として知られるようになった。この島には国民休暇村が建てられ、海水浴やキャンプを楽しめるリゾート島として国内外からたくさんの人達が観光に訪れる。
一見とてものどかな島だが、実は「毒ガス島」とも呼ばれ第二次世界大戦以降の化学兵器製造の実態を今に伝える施設跡が、廃墟として島内のいたる所に残されている。
この島では、日中戦争から第2次世界大戦にかけて密かに毒ガスの製造が行われていた。
労働に従事した人たちは延べ約6700人といわれ、原爆と同じように戦後多くの人々がその後遺症に苦しみ、中には殺戮に加担してしまったという自責の念に苛まれ続ける人もいる。
これまでうんざりする程の平和教育を受けてきた私でさえ、この島の隠された歴史についてほとんど知る機会はなかった。
広島に住んでいると、平和という掴み所のない言葉が身近に溢れ被曝都市としての戦争の被害の側面しか見えてこない。しかし同じ広島のこの小さな島には、ひっそりと加害の歴史が横たわっているのだ。
どれだけひどい目に遭ったかを知ることはとても重要だが、それだけを訴えていては平和という言葉はいつまでも曖昧な意味しか持ち得ない。
戦争の悲惨さの語り部は、かつての毒ガス被害者であり工場跡である。
その存在こそが悲惨さを語る。その時、私の写真がそれらの存在を明かすための装置となる。
戦争と大久野島との関わりはもっと古く、日露戦争の際に軍都であった呉を防衛する目的で要塞が築かれ、幾つもの砲台が設置された。
その後、毒ガス研究において諸国から遅れをとっていた日本軍は、東京の陸軍科学研究所で研究開発し、大量生産の拠点として大久野島に製造工場を置いた。
生産量はピーク時の1941年で年間1600トンにも及び、その種類によって黃、茶、赤、緑と色分けして呼ばれた。
島の存在は秘匿され、1938年に陸軍が発行した一般向け地図では大久野島一帯は空白地域として扱われた。対岸の近隣住民も多く働いていたが、島で行われていることの一切の他言を禁じられた。
また島の方をじっと見ていただけでスパイの嫌疑をかけられたり、海岸に沿って走る呉線の列車は忠海に差し掛かると鎧戸を閉めさせられるなど、情報の漏洩は徹底して防止された。
また朝鮮戦争の際には工場がアメリカ軍の弾薬庫として使用されるなど、長く戦争に利用されてきた歴史を持つ。
日本政府はこうした負の部分を見せたがらず、この島にある戦争遺跡の保存にもあまり積極的ではない。それらは崩れてしまえばそれでお終いというのが現状なのだ。
またかつての島の労働者で現在の存命者は約2000人といわれるが、その中でも直接毒ガス製造に従事していた人となるとほとんどが90歳を越えている。
直に証言を得られる時間はそう多く残されていないのだ。しかし私たちにはその事実をまた次の世代へと伝えていく責務がある。
広島に産まれた写真家として、私の写真がこの事実を明かすための一助となることを望んでいる。
※初日11日のみ午後6時からのオープンとなります。お気をつけください。
その他会期中は無休、午後1時から午後7時まで。入場無料。
◎オープニングレセプション:8月11日(土)午後6時から
◎イベント:3BOOKS
8月25日午後5時からテーマ「歴史的事象を視覚的に検証している本」
手製写真集「Red String」と「Hiroshima Graph – Rabbits abandon their children」は数々の賞を受賞。ともにニューヨーク近代美術館(MoMA)図書館に収蔵されている。