藤井ヨシカツ写真展「Hiroshima Graph – Everlasting Flow」8/1 – 8/23

2020年度企画展の第3弾は藤井ヨシカツ写真展「Hiroshima Graph – Everlasting Flow」を開催いたします。

藤井は2015年に故郷である広島に拠点を移し、被曝3世としての視点から、誰も知ることのなかった歴史の証言や広島に生きてきた人々の軌跡、風化していく戦争の爪痕にあらためて眼を向け、後世へと伝えていく取り組みとして「Hiroshima Graph」シリーズを制作してきました。

毒ガス製造の歴史を持つ大久野島を題材とした「Rabbits abandon their children」に続くシリーズ2作目となる本作は、広島の被爆の歴史を起点とし、原爆が投下された場所を撮影した写真やアーカイブイメージと祖母の個人的経験を結びつけることで、どのように個人がトラウマとなる記憶を隠し、どのようにそのトラウマが次世代へと受け継がれていくのかを探っています。

本展に合わせ、写真集「Hiroshima Graph – Everlasting Flow」を刊行予定です。
詳細はFacebook等で随時お知らせいたしますので、ぜひご期待ください。

◎会期:2020年8月1日(土)〜 23日(日)
13:00~19:00 会期中無休、入場無料

◎Facebookライブ配信アーティストトーク
2020年8月1日(土)午後7時~

◎開催場所:Reminders Photography Stronghold Gallery
住所:東京都墨田区東向島2-38-5
(東武スカイツリーライン曳舟駅より徒歩6分・京成曳舟駅より徒歩5分)

©︎Yoshikatsu Fujii / Hiroshima Graph – Everlasting Flow

真夏の早朝、真っ青に晴れ渡った空から一発の爆弾が落とされた。
一瞬にして街は火の海と化し、全てが失われた。

あれから70年以上経った今も原爆症に苦しむ人々。そして、それが遺伝するのではないかという見えない恐怖心は、何世代にも渡って植え付けられ続けている。あの日以来、広島市民は重い十字架を背負い続け、降ろすことをずっと許されていない。

戦後、広島は有数の平和記念都市として被爆者が語り部となり、彼らの悲惨な経験が世界中に発信されてきた。しかしその他多くの被爆者と同じく、私の祖母も90歳を越えた現在まで、自身の被爆体験や戦後に味わった苦労を家族にもほとんど語って来なかった。

思い出したくもないという感情に加え、今こうして自分が生きていることが、あの時亡くなった人たちに申し訳ないという気持ちもあるという。

しかし奇跡的に生き延びた祖母がいたからこそ、今ここに私がいる。広島が背負った歴史の証明として、次の世代へと伝えていくべき重要な証言として、祖母の物語を私が語り継がなければならない。

原爆によって死亡した人の数については、現在も正確にはつかめていないが、被爆当時、広島には約35万人の市民や軍人がおり、昭和20年(1945年)12月末までに、約14万人が死亡したとするデータもある。

爆心地から1.2㎞圏内で被爆した人々は、その日のうちにほぼ50%が死亡したと言われている。 それよりも爆心地に近い地域では80〜100%が死亡したと推定されている。また、即死あるいは即日死をまぬがれた人でも、近距離で被爆し、傷害の重い人ほどその後の死亡率が高かったようだ。

祖母が被爆したのは、ちょうど爆心地から1・2㎞にある自宅だったので、50%の確率で生き残ったことになる。「あの時、あそこにいれば無傷で助かったのに。」或いは「あの時、あんなことをしてしまったから死んでしまった。」ほんの些細なことが人間の生死を分け、祖母はかろうじて生き残った。しかし、自分が助けることができたかもしれない人のことを語る祖母の表情は、データを見ているだけでは想像すらできない、重く暗いものだった。

以前は、左脚の大きな傷跡以外にも多くの傷跡が残っていたようだ。しかし今では、ほとんど皺と見分けがつかない。左脚さえ見なければ、彼女が被爆者ということさえ誰も分からないだろう。同じように、広島の街には高層ビルが立ち並び、被爆者から直接体験を聞ける機会も減少した今、70年以上前の出来事を感じ取ることは難しい。

しかし今でも、原爆の影響で健康被害を持つ人がいるし、結婚や就職で差別されてきた人々も存在する。そして私達、被爆者の子孫は、いくら原爆症の遺伝は医学的に証明できないと言われても、漠然とした不安に囚われている。それら全てがヒロシマの記憶であり、祖母と私達家族の歴史もその一端である。そしてそれらは、核兵器の恐ろしさを世界に伝えるために記録されねばならないものだ。

思い出すことの辛さを押し殺して、私や未来の誰かのために話してくれた祖母。彼女への尊敬と愛情を込めて、私はこの作品を後世のために遺す。被爆者が負った傷と心の痛みを忘れてしまわないために。

藤井 ヨシカツ

 

©︎Yoshikatsu Fujii / Hiroshima Graph – Everlasting Flow

©︎Yoshikatsu Fujii / Hiroshima Graph – Everlasting Flow

©︎Yoshikatsu Fujii / Hiroshima Graph – Everlasting Flow

©︎Yoshikatsu Fujii / Hiroshima Graph – Everlasting Flow

©︎Yoshikatsu Fujii / Hiroshima Graph – Everlasting Flow

©︎Yoshikatsu Fujii / Hiroshima Graph – Everlasting Flow

©︎Yoshikatsu Fujii / Hiroshima Graph – Everlasting Flow

©︎Yoshikatsu Fujii / Hiroshima Graph – Everlasting Flow

©︎Yoshikatsu Fujii / Hiroshima Graph – Everlasting Flow

Profile | 藤井ヨシカツ
広島県出身。東京造形大学で映像を学んだのち、2006年より写真制作を開始。社会問題に纏わる歴史や記憶を主なテーマとして制作に取り組んでいる。作品はこれまでにフェニックス美術館(アメリカ)、デリー・フォトフェスティバル(インド)、ゲッティ・イメージズギャラリー(ロンドン、イギリス)、チョビメラ国際フォトフェスティバル(バングラデシュ)、ジメイ・アルル国際フォトフェスティバル(厦門、中国)、ブレダ・フォトフェスティバル(ブレダ、オランダ)、PHOTO 2020(メルボルン、オーストラリア)などで展示された。
離婚した両親と自身との関係をテーマにした作品「Red String」は、2014年に少部数限定の手製本による写真集として発表された。同書はパリフォト・アパチャー財団写真集賞などにノミネートされたほか、米タイム誌をはじめとする2014年のベスト写真集の一冊に選出されるなど注目を集めた。
写真集「Red String」「Hiroshima Graph – Rabbits abandon their children」はともにニューヨーク近代美術館(MoMA)図書館に収蔵されている。