吉田亮人「The Dialogue of Two」連載第2回「メール」

11月5日よりRPS京都分室パプロルにて開催するRPS京都分室パプロル・2022年度第4回企画展・吉田亮人 写真展「The Dialogue of Two」開催までの期間、本展作家の吉田亮人に連載をしていただくこととなりました。
今回は、この作品を制作するきっかけになったある1通のメールについて。

ぜひご一読ください。

【連載第2回目:メール

©︎Akihito Yoshida

そのメールが僕の下へ届いたのは2019年の8月末のことでした。

まだ当時は世界が新型コロナ禍に飲み込まれる直前のこと。

僕はちょうど2020年1月からフランス・パリにある「Fisheye」というギャラリーで個展が予定されていたので、その準備に追われて慌ただくしていました。

そんな時に全く見知らぬ方からメールが届いたのです。

そこには僕の作品「The Absence of Two」に関するWEB記事を読んだこと、そして胸を打たれ感動したことが綴られていました。

これまでにも知らない人から作品に対しての感想メールは時々もらっていたので、このようなメールが来ることは珍しいことではなく、その時もありがたい気持ちで読み進めていきました。

しかし、その後に書かれてある内容を読んで僕は少々面食らってしまうことになります。

そこにはおおよそこんなことが書かれてありました。

 

Aさんと名乗るその方は生きることがとても辛く、死んで楽になりたいと長い間考えていること。

しかし同居している家族がいて、自分が居なくなった後の家族の様子を想像すると死ねないということ。

自分のことを一番に考えたい、自分のことを楽にしてあげたいと思う気持ちと、家族を思う気持ちに挟まれた凄まじい葛藤の狭間にいて、地獄の様な毎日を送っていること。

 

そんな身を裂くような想いが切々と書き綴られていたのでした。

聞いてはいけないことを聞かされているような居心地の悪さを覚えながらもその独白を読み進めていくと、最後にこう綴られていました。

それは晩年、一人になった僕の祖母がどう生きたのかを教えてほしいということでした。

その最後の一文を読んで僕の心臓を打つ鼓動は早くなり、頭の中がカアっと熱くなるような感覚を覚えました。そして一瞬の内に様々な感情がまるで昨日起こったかのようなリアルさを伴って蘇って来たのでした。

 

大輝の異変に何も気づいてやれなかった自分。

大輝が亡くなった森を一人訪れた時の気持ち。

大輝が僕のことを本当に慕ってくれていたこと。

大輝が最愛の祖母を置いて逝ってしまったこと。

 

そういった感情とはもう既に一定の距離を保ち、十分に整理できたと思っていたのですが、その時なぜだか一気に抑え込んでいた感情が溢れ出てきて胸が詰まったのです。

それと同時に、最愛の孫を喪失してしまった祖母の姿が思い出されました。

それは僕がこれまでの人生で知る限り、人間の悲しさを最も体現した姿でした。

それまで涙なんてひとつも見せたことがなかった気丈な祖母が「生きている意味なんかねえ」と嘆き、涙を拭う姿を見た時に、本当の悲しみとはどういうことかを僕は初めて理解したのでした。

だから僕は祖母の姿から目を背けず、脳裏に焼き付けようと強く思いました。

自分自身のために、自分の心に刻みつけるためだけに写真に収めよう。

祖母が亡くなるまでその姿を収め続けよう。

そうやって固く自分に誓って一人になってしまった祖母の姿を写真に撮り続けていた2016年11月18日。

祖母は88年の生涯を静かに閉じたのでした。

その訃報に接した時、僕はパリにいて、どうしても祖母の最期を見届けることができなかったのですが、安らかな顔で旅立ったと家族から聞き、「やっと大輝のところに行けてよかったねえ」と、心の底から安堵したのを覚えています。

そんな記憶と感情が久しぶりに蘇り、ぐるぐると脳内を駆け巡り混乱していた僕はメール画面を閉じました。

そうして気持ちを切り替えて、やりかけていた個展の準備に取り掛かったのでした。

 

第3話に続く

©︎Akihito Yoshida