第二回「PHOTOBOOK REVIEW WITH THE AUTHOR: Wolfgang Bellwinkel」

写真集に関するイベント「PHOTOBOOK REVIEW WITH THE AUTHOR(写真家と写真集をレビューする日)」の第二回のドイツ人の写真家、ヴォルフガング・ベルウィンケルのインタビューの翻訳ができました。

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ヴォルフガング・ベルウィンケル、”No Land Called Home”「表紙」

No Land Called Home(家と呼べる場所がない)

ヴォルフガング・ベルウィンケルは精神状態とでも呼ばれる何かを模索する。異質さ、不思議さへの熱望、そして遠くはなれた地域での例外的な経験や、おそらく知識をも探求する人の情動不安など。ベルウィンケルはこの18年間の写真と、写真の片割れとしての自立した、いくつもの短い彼自身のストーリーとを組み合わせたコラージュをつくりあげる。アジアで撮られた写真はアフガニスタン、中東、バルカンからどうしたものか一体の地域を形作る場所の、戦中、戦後のイメージとともにコラージュされる。私的なイメージはドキュメンタリー写真、世界で起こった出来事の伝記の合間に織り合わされる。この本は常に変化する、グローバル化した世界で起こる出来事の文脈において作家が配置した、伝記的に指向された写真への深いコミットメントを提示する。

 

写真家ヴォルフガング・ベルウィンケルとのインタビューの全訳はこちら(翻訳:川上紀子)

後藤:全ての写真はあなた自身で選んだの?それとも、誰かの手を借りた?

ヴォルフガング:自分で全部選んだよ。一年半かけて写真を入れ替えたりしながらね。それは本当に長いプロセスだった。膨大な写真があるけれど、一つの確固としたライン、つまり筋道がないから、それらをどう配置して行くかを見つけ出すことは、とても難しかったんだ。長い時間をかけて遊んでいたような感じかな。

今回は、ちょっとドキュメンタリー映画の編集みたいだった。ドキュメンタリーを編集するときは、ストーリーの流れを物語の最後の場面から始めてもいいし、頭の場面から始めてもいい、あるいは途中の場面から始めることもできるだろ。イメージの流れをどう配列していくかは君次第なわけだ。この本の編集もそんな感じだったよ。どう流れをつくっていくか、完全に自由だった、それはとても良いことだと思う。ただ、自由でいることは同時に、やらねばならないことが沢山あることも意味しているんだ。

後藤:この本を作ろうと企画した時、最初からこの厚さにしようと考えていたのかしら?

ヴォルフガング:そうそう。始めから、この厚さにしたかった。最初はもう少しだけ、大きめのサイズだったかもしれない。でも、制作費の問題で小さめの、このサイズにすることに決めたんだ。結果として、結構、ぴったりなサイズになったと思う、この大きさとても気に入っているよ。テーブルの上に置かなくても、ぎりぎり手で持って見ることが出来るしね。

後藤:私たち、ブックダミーを作る3日間のワークショップを終えたばかりなのよ。参加者の中に“atlas (地図帳)”というタイトルのブックを作った人がいたのだけれど、この写真集はあなたの地図帳のようなものね、1994年から2012年にかけての、あなたの人生の地図みたい。こうやって、一冊の本にまとめることはとても難しいことだった?

ヴォルフガング:最初は500枚の写真から始めて、編集して200枚ぐらいに絞ったよ。そして最終的にはここにある200枚になった。繰り返して出てくるイメージがあるけれど、それは意図的にやったことなんだ。普通は、写真集の話になると、似たようなイメージを2枚使ってはならないと、決まって言われる。でも、この本では、あるイメージが繰り返し出て来ることに気づくと思う、それは空や、電線、そしてストリートのシーンだね。わざとそうすることで、イメージを溢れさせたかったんだ。“ベストオブ〜”なんて言う風に40枚の最高の写真を見せるなんてことはしたくなかった、もうそれは過去にやっているしね。そうではなくて、イメージの津波を、溢れるイメージを観客に与えたかったんだ。それが、なぜ始めから、これくらい大きな本になると考えていた理由だよ。本のサイズではなくて厚さにおいてね、つまりページ数が多いということ。

どうやって出版社にアプローチしたのですか?

ヴォルフガング:簡単ではなかったよ。PDFのダミーをドイツの幾つかの出版社に見せたら、彼らは興味を持った。いつだって興味は持つんだ、でも問題は費用の面になる。最終的にはKehrerというドイツの出版社、写真集やアート本を扱っている、信用出来る出版社と契約した。それでも、条件はそんなに良くなくて、最も、彼らが他のどの出版社よりもいい条件だったわけだけど。ただ、Kehrerと上手く協力し合えるという感覚があったんだ。色々考慮してみて、結局、彼らと契約を結び、そして上手くいったというわけさ。彼らは良い本を作ろうと努力してくれた、それは本当に大事なことじゃないかな。いや、むしろ、今の時代は、そうでなければならないと思う。

向こうからやって来て、おい、本を作ろうぜ、費用は持つからなんて言ってくれる出版社はいない。いつだって、制作にかかる、ある部分の費用は自分自身で支払うことになる。出版社によって違いはある、本当に馬鹿げていると思うけれど、全てをこちらが負担するように望む出版社もあれば、ある部分を作家が負担し、ある部分を出版社が負担して、バランスを取ろうとする出版社もある。Kehrerとの契約は後者の方に近い。最終的に、そういう条件で契約を結んだけれど、今日の時点まではそれが正しい選択だったと言えると思う。本の出来が良く、制作の現場もいい感じだった、写真の質も良い。さあ、ここからどうなるか。マーケティングの問題と言うことが出てくるからな。彼らが本を売るためにどれだけ積極的に売り込むことが出来るか、本の為に働いてくれるのかという問題だよ。

後藤:それでは、恒例で聞いている5つの質問にいくわね。質問1、なぜ、あなたは写真集をつくるのですか?

ヴォルフガング:写真集を作るのには色々な理由があるとは思うけど、それは夢のようなもの、写真集をつくることは、全ての写真家にとっての夢ではないかな。永遠の命のような、つまり、写真家やアーティストなら、何か遺したいと思うだろ。

一生を捧げて仕事をしたなら、何かが遺って欲しい。インターネットなんかもあるけれど、本は未だに、その何かを遺すために、自分の意志を伝えられる最高の媒体だと思う。永遠の命、僕にとっては、それが一つの理由だね。写真集そのものが、ひとつのアート作品のようだと思うんだ。写真イメージの集合というもの以上の、何かがあるとね。

写真集をどう作るかはとても大切で、それはサイズから始まる。そして、それは、どんな方法で写真を配置するかに始まる。つまり、写真集の中の写真の大きさが重要なんだ。本の素晴らしいところは、誰にも邪魔されないところでもある。僕が選んだ写真と、僕が決めた配列。写真集を、僕のアイデアに沿って見てもらうように、読者に半ば強制しているというか。写真展では、どんな風に観客が歩き回るか分からないだろ、でも、本なら簡単だ。始まりがあって終わりがある、読者はページごとに進んで行く。そして、最後には、全体のストーリーが何を意味するのかを、読者に得て欲しいね。それと、写真集を作るもう一つ理由は、それが、自分を売り込むのにブックになることだ。本を作って、人々がそれを「ああ、彼は本を出版したんだ。面白い本だね。」と認識する。マーケティングの道具になるのさ、それを持つことはとても重要だと思うよ。

後藤:この本を誰に一番、見てもらいたい?

ヴォルフガング:まあ、全ての人に見てもらいたいよね。アート本や写真集って、内輪のグループの人間だけに見られているところがあって、彼らがこういった本の顧客なわけさ。普通はたったの数千冊しか刷られることがないんだよ。文学なら簡単に10,000部から50,000部は刷ったりするだろ。大きな違いだ。写真集に興味を持ってくれている内輪のグループは存在するみたいだけど、それはかなり小さなグループなんだよ。

僕の父がこの写真集を見てくれた時には、彼は写真とは全く関係のない世界の人間だけれど、2日間かけて、この本を読み通したよ。何度も、僕のところへやって来て、そしてまた文章を読み、写真を眺めていた。それは理想的だった。もちろん、彼は僕の父だから、息子のことを知るために、僕のストーリーに興味があるってことはわかっている。父にとって、僕の人生そのものが、なんて言うか、ブラックホールのようなものだろうから。息子について、何かしら知ることが出来ただろう。でも、僕のことを知らない人たちにも、同じことが起きて欲しいと思っているんだ。彼らにも父と同じように、僕のストーリーに興味を持って欲しいってね。まあ、結果が出るのは先のことさ。まだ、何の結果も出ていない。写真の専門家や写真家、或はアート界の人間とかだけに、読者を限定したくないんだ。それよりも、ずっと多くの人たちに、この写真集を見てもらいたいよ。

後藤:この本が、あなたの最初の写真集?

ヴォルフガング:ずっと前に、一冊出している。この本を出すまでの間に、“Rupture”のように一部を担当したものはあるけれど、自分自身で制作したものとしては、これが二冊目にあたるよ。

後藤:最初の写真集を出版して、そこから、あなたが得ることの出来たことは何だったのかしら?写真集と写真展の違いをどう考えている?

ヴォルフガング:最初の写真集は大学を卒業してすぐに作った。ボスニアの戦争についての写真集。戦争がまだ続いている時に、出版されたんだよ。当時、僕は誰でもなく、つまり、まだ無名で学生生活を終えたばかりで、その本はチャンスの扉を開けてくれる素晴らしいものとなった。本を多くの人に見せて、すぐに仕事を得ることができたし、写真展も開催出来た。この本に、大いに助けられた。要するに、それが、僕の写真家としてのキャリアのスタートとなったのさ。素晴らしいよね。

この写真集はどうだろう、今はあの時とは、状況が全く異なっている、あの頃よりずっと、僕自身を確立出来ているからね。この本がもう一度、チャンスの扉を開けてくれれば嬉しいし、少なくとも、人々が僕の本や仕事、そして僕個人に興味を持ってくれればと思うよ。それが、とても大切だね。

写真集と写真展の違いか、僕は両方とも好きだね。コインの表と裏みたいなものだと思う。写真展は素晴らしい、写真展を開くことは大好きだ。それは写真集とは全く異なる。写真集はそのものが作品で、持ち出すことだって出来るだろ。写真展は常にその場所と繋がっている、それがまた面白いところでもあるんだけどね。写真展を開くと、与えられたスペースに対して、反応するようなところがあるよね。それと、様々なサイズを扱うことができる、僕は大きな写真が好きなんだけれど、本では、それは絶対に不可能だからね。写真集の方が優れているところは、写真展は3週間か4週間したら終わってしまうけれど、写真集は5年経ってもまだ存在すること。10年経っても、まだ、そこにあるんだよ。

ある時、本屋にいたら、ある人が僕の写真集を手に取っているのが見えた。出版してから18年経った本さ。古い本だよ、驚いたね。本はそこに存在し、人々がまだ、興味を持ってくれる。18年経っても。すごいことだよ。

後藤:4つ目の質問よ。写真集の制作にはどのように関わったのですか?

ヴォルフガング:写真を選んだのは僕だよ。それは間違いなく写真家がやるべきことだと思う。でも、一度、写真を選び、そして写真の配列を決めたなら、つぎに良いグラフィックデザイナーを見つけること、それが本当にとても大事なことだと考えているんだ。

後藤:じゃあ、デザイナーを雇ったのね?

ヴォルフガング:ああ。とても良く知っている奴だよ。奴について、最も重要なことは、彼が写真というものに興味を持っていることだった。雑誌の出版社にいるような、ただ座って、レイアウトに合わせるためだけに写真を切ったりしてしまう、独創性に欠けたグラフィックデザイナーを沢山知っているよ。アイデアの欠片もないし、写真への敬意がない。だから、グラフィックデザイナーを見つける時には、僕の仕事を大事に思って、僕の仕事を好きでいてくれる人を見つけるということが、最も大事なことになって来るのさ。グラフィックデザイナーも、完成した写真集を自分の本だと言えるべきだと思うんだ。ただ、お金を稼ぐための仕事というだけではなくて、コラボレーションであるべきだとね。

僕らの場合は、とても上手く行ったと思う。以前に経験をしていたから、僕は今回、グラフィックデザイナーを選ぶことができた。仕事ができて、写真に興味を持ち、写真を扱う経験のある人がいいと言ったよ。昔、彼は沢山の写真家と一緒に、一冊の本を作ったことがあるのだけど、僕はその写真家中の一人だったんだ。彼は良い仕事をしていたよ。これはとても大切なことだと思うけど、本を作るということは、相互のプロセスだろ、誰かがやって来て「これをこうやって作るぞ」と言って、それきりってことではないんだよ。

コラボレーションなのだから、グラフィックデザイナーはあるアイデアを持っていて、写真家と話し合う。僕らの場合は、何回あったかわからないくらい、話し合ったよ。少なくとも、10回や12回は、そう言うやりとりがあったね。彼がPDFか何かを送ってくれて、常に彼が何をしているかを伝えてくれるんだ。彼は良い仕事をしてくれたと思う。文字色に赤を使ったのは彼のアイデアだよ。紙選びは一緒に行ったけれど、僕がこの本でとても気に入っているところ、異なった二種類の紙を使うというのは彼のアイデアだったんだ。

写真は良いのに、レイアウトがあまり好きになれない写真集を沢山見る。左側が白紙で、右側に写真があるものだよ。それって、つまらないなって分かったんだ。もう一度言うけど、写真集を作るというのは、カタログ以上の何かを作れるチャンスが得ているのだってこと。だから、僕は本のデザインにも、とても深く関わる。そして、最後には印刷所へと行く。これが、一番大切なところだよ。作業してくれている人の、その横にしっかりと立って、コントロールしなければならない。僕の場合、間違いがあったのだけれど、お陰でそれを発見し、変更することが出来たんだ、良かったよ。

後藤:最後の質問よ。もし、火事になって一冊だけ写真集を持って行けるとしたら、どれにしますか?

ヴォルフガング:写真集は持って行かないかもしれない、もし火事が起きたら、カメラを持って行くんじゃないかな。どうだろう。僕のキャリアのために、本当に重要だった写真集はあるけれど、(William) EgglestonやRobert Frankの “The Americans” 、Richard Misrachからは影響を受けた。だけど、今では、それほど重要ではないかもしれない。ある時、僕がまだ学生だった頃には、Martin Parrは僕の憧れだった。一冊だけ写真集を持って行けると言われて、今、Martin Parrの本を持っていくかどうかはわからない。難しい質問だね。彼らの写真集は素晴らしい本だけど、結局、僕はむしろカメラとパスポートを持って行くことを選ぶと思うよ。

 

Bellwinkel
ヴォルフガング・ベルウィンケル(Wolfgang Bellwinkel): ヴォルフガング・ベルウィンケルはベルリンとバンコクに住む。 フォルカン芸術学校を90年台に卒業後、雑誌、企業向けのフォトグラファーとして働きはじめた。 商業的作品の他に、ドイツと旧ユーゴスラビアで異なるプロジェクトに深く取り組んできた。 1995年「weg」という初のドキュメンタリー映画を制作、バンコク映画祭にてプレミア上映を行った。講師としてドイツ、シンガポール、タイの大学にて勤務し、ゴエス・インスティチュートからの依頼でアジア圏でのワークショップで教えている。 2011年にはWolfgang Bellwinkelにキュレートされた写真展「Foreign Familiar」がBankok Art and Cultural Centerにて開かれ、現在東南アジアの各地にて同展は開催されている。 Bellwinkelの作品はムニチ・the Punakothek der moderne、ベルリン・Berlinische Galerie、アントワープ・Museum voor Fotografie、ソウル・Daelim Art Museum、バンコク・Bankok Art and Cultural Centerなどで多くの個展、グループ展にて展示されてきた。http://www.wolfgang-bellwinkel.de/

 

日時:2013年1月19日(土)午後6時から

会場:reminders photography stronghold
参加費:500円(定員20名程度、RPSメンバー会員は無料)
司会:STRONGHOLD GALLERYキュレーター・後藤由美
ゲスト写真家:ヴォルフガング・ベルウィンケル(ドイツよりスカイプ中継で参加)

 

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第一回: アゼルバイジャンの写真家、レナ・エフェンディ