【イベントレポート】パノス・ケファロス写真展「Saints」
2018年6月9日より開催のパノス・ケファロス写真展「Saints」のオープニングアーティストトークにてお話いただいた内容を一部記事として公開致します。
なお展示は6月24日まで開催しておりますので、足をお運びいただけると幸いです。
【プロジェクトのきっかけ】
「Saints」は2012年にパノスの祖国であるギリシャのアテネで始まったプロジェクトです。元々は依頼の仕事で、アフガニスタンからの難民が集まるビクトリアスクエアを取材するという理由で訪ねたものでした。しかしその仕事はキャンセルになってしまい、代わりに自分のプロジェクトとして進めていこうと決めたといいます。
パノスはビクトリアスクエアで子どもたちと接したのが、自分にとっていい経験だったと語ります。それは子どもの姿に現れる人の本能的な部分に惹かれ、その姿に彼自身の過去を重ね合わせることで少年時代にはなかった気づきを得ることができたのです。
そして、子どもたちとの出会いからその家族、その家族が住む街の近所の人たちというように人との関係性の輪が広がっていきました。
ギャラリーに展示された写真、動画からもパノスとその土地で出会った彼らがいい関係性を築いていたことを感じることができると後藤氏は言います。写真は正直で嘘がつけないものです。彼の写真にはその場を通り過ぎた「他者の目」以上の光景が捉えられていました。
難民という立場の人々を撮影するとき、作家と被写体との関係性を築くことを必要としない作家もいますが、彼はそういうことをしたくなかったのだと言います。もちろん街を歩き、模索しながら撮影を行っていましたが、彼らとの関係性を築いた上での撮影を心がけていました。
通常私たちがよく目にする難民を撮影した写真とパノスの写真には違いがあり、それはやはり彼らの間にある関係性に関連づくように思われます。パノスの写真に写る子どもをはじめとした皆が、一見難民に見えないのです。ディテールを見ていくと彼らが生活している場所が危険な環境であることが感じ取れ、難民である事実を伝えているかもしれません。しかし、彼が写し取ろうとしたのはその地で生活をする子どもたちの記録なのでした。彼らは「難民」である前に「人」であり、それは彼らの祖国アフガニスタンでも、祖国から逃れたギリシャの新たな環境でも同じ、変わることのない事実なのです。
関係性を築きながら撮影をする中では、パノスは数多くの彼らとのエピソードを持っています。
ある時、ビクトリアスクエアの近くの公園でサイード(Sayid)君という少年に出会います。彼はひまわりの種を売り、それらを糧に生活をしていました。そして彼はそこでの2年半を母親とは離れて生活をしていました。サイード君は父と弟と共にその2年半ほどギリシャで過ごした後、母のいるフランスへ転居したといいます。
より良い生活を送るために家族が離れて生活をしたり、定点としての依拠を持たないことがあります。アフガニスタンから来た難民たちは間も無くヨーロッパの各地へと転居し、パノスがアテネで写真を撮っていた頃に出会った人々のほとんどが今はもうそこにはいません。
彼らは時に難民として国を捨てて生きざるを得ないのです。それは戦争のためであり、政治的な理由でもあります。
写真集の中に公園で出会った、あるホームレスの男性についての一節が綴られています。
その方の奥さんは当時、教師をしていました。しかし女性が教師として働くことは許されておらず、反勢力の人たちから警告・脅しを受けていました。そしてそれに背いたことを原因に、ある時奥さんは殺害されてしまったのでした。それを見つけた彼は子供を連れて逃げて来たのだといいました。より良い生活、そして生き延びるためにその地を離れることを選ぶのです。
【写真集「Saints」出版までの道】
「Saints」の出版はRPSとも関わりを持っています。
2013年、パノスが応募したRPS グラントから始まります。それはグラント審査員の一人でもあり、イタリアFABRICAのフォトディレクターでもあるエンリコ・ボッサンの目に留まったことでした。その回はグラント受賞には至りませんでしたが、応募作品の中からボッサンは彼の作品に惹かれ、継続中のプロジェクトを一緒に発展させるとともに、最終的に本を作ることへと繋がるきっかけとなりました。プロジェクトの発展段階から一緒に進めようとするのは珍しいことです。それはボッサンに彼の才能を見出す先見の明があったということでもあり、二人の信頼関係がこの様な結果を導いたのだと思えます。そうして写真集「Saints」FABRICAから出版されることになり、500部制作されました。
ちなみにこちらの写真集はRPSでも取り扱いをはじめており、署名付きにて販売中です。詳しくはこちらをご参照ください。
【表紙について】
この輪には3つ(もしくはそれ以上)の意味があると言います。
まずタイトルは「Saints」聖人を意味しています。1つの見方としては宗教的な関係性を持っていて、殉教者・聖者の後光を表しています。
2つ目はその円が繋がっていないことが人生や経験を表しているということ。それらは今はまだ完全ではないということです。欠けている部分はこれからの経験が形作っていくのです。
そして3つ目は写真集ができてからそれを観る人が現れたことで自分が持っていた理由や意味とは別の見方をする人がいるのだという気づきでした。最初はそこまで表紙について考えるような事はしていませんでした。しかし第三者の存在がそれらを考えることを導いてくれたのでした。たとえ自分とは異なる解釈だとしてもそれこそが興味深いことだと感じたと言います。
当初は羽の生えた子どもの写真を表紙にしていました。それはわかりやすいイメージですが、見方を限定してしまうものでもありました。
しかし抽象的な輪のイメージにしたことでたくさんの解釈が可能になり、見る人の想像の幅を広めました。
それと同時にテキストは全て自分の言葉で綴られ、物語を曖昧なものとせず、彼らの物語を明確に伝え、自分の作品としての責任を持っています。
【写真1枚が物語るもの】
パノスはまたもうひと家族との出会いを語ります。
展示会場にある巨大な写真の一つであるエコー写真。それは彼が出会った難民女性の一人の妊娠初期の頃の写真です。パノスは彼女とも非常に近しい間柄でした。彼女の夫は胃がんを患っていて、その治療のために放射線治療なども行なっていましたが間も無く亡くなってしまったといいます。しかしその頃には二人の間に第二子となる子を授かっていて、今はその子ども2人と母親の3人で暮らしているそうです。
パノスの語りを聞くと、人生は一度関わり合いを持てばその時だけに留まらず、深く長く続き、その関係性を経て撮られた写真からは多くのことを語ることができるのだと実感させられます。
1枚の写真を観たときに鑑賞者が想像を働かせることはとても大事なことです。しかし多くの人はそれをしません。その光景がその場の全てであったとしても、その背景には様々な出来事があり、鑑賞者が想像することでそれらは膨らんでいきます。
その物の見方は写真を観るときに関わらず、生活の中でも同じことが言えます。空想だとしても想像力を働かせて相手のことを考えてみることで解決する物事は確実に増えていくのではないでしょうか。
文責・写真:久光 菜津美
編集:後藤 由美