インターン久光展示レポート:長谷川美祈 写真展「Internal Notebook」オープニングアーティストトーク

現在RPSにて展示中の長谷川美祈さんは「Internal Notebook」で児童虐待をテーマにした作品展示を行っています。11月3日に行われたアーティストトークにてお話しされた内容を一部記事として公開致します。

こちらの展示は2部構成となっており、既に開始されている1部は11月12日(日)まで、2部目は11月15日から26日までとなっており、25日にはクロージングイベントとして2部の内容を詳しくお話をして頂く機会を設けます。ぜひお越しください。

©NATSUMI HISAMITSU / REMINDERS PHOTOGRAPHY STRONGHOLD

現在行われている1部では5名の方の物語・背景を展示しています。内1名の方は写真集を制作する上で、過去を示すための幼少期のアルバムや記憶などの協力をしてもらうことが困難でした。しかし自分にもできることがあるのなら協力をしたいという思いから展示のみ参加をして頂きました。

2部目の展示では4名の展示を行います。その内の1名は、9人の人格を持っているという方です。1人の身体に9人の人格があるということが一体どういうことなのかを、人格が変わっている間の記憶がないことやそれが断片的であることなど、そういった状況を可視化できるような展示にしようと構想しています、と長谷川さんは語りました。

【児童虐待をテーマにしたきっかけ】
この作品を作るきっかけは、長谷川さん自身が母であるということから、「母性」というものに疑問を持ち、自分もいつか虐待を犯してしまうのではないかという恐れを抱いたことでした。また日本では児童虐待という問題があるにも関わらず、それが可視化されていないという実情も理由にあります。

【表現方法の変遷】
初めは当事者の方々とどう関わっていけばいいのかということに悩み、実際にコンタクトをとってお話を聴くことができませんでした。
まず行ったのは児童虐待が起こった現場に足を運ぶことでした。そこは人々が普段普通に過ごしている場であり、今は何も感じられない場になっています。しかしそこには虐待が行われていたという過去の事実が存在し、見過ごされている環境なのです。

©MIKI HASEGAWA / Internal notebook

長谷川さんは調べていく中で、字面を見るだけで涙が出たり、悲しんだりと感情が先に出てしまうことが多かったといいます。それでは人にうまく伝えることはできないと考え、客観的に調べたり、当事者が現在どういう生活を送っているのか知ること、勉強をしなければインタビューをすることはできないと思い直したといいます。

ある程度の知識を得られて初めてインタビューや、実際に話を聴くことができるようになりました。しかし3人聴いたところで止まってしまいました。

【制作をする上での壁】
インタビューをするときのほとんどは長谷川さんはただただ聴くだけでした。そうして3人目の方のお話を聴いた夜にその方が不安が大きくなり具合が悪くなってしまうということがあったといいます。
それは会話の中でふと長谷川さんが発した言葉が原因にあったことが後にわかりました。インタビュー内での伝わり方の違いが、後になってから不安を増大させてしまっていたのでした。当時の長谷川さんはその時の感覚が抜けず、インタビューも撮影も進めることができなくなったそうです。

自分にとってよりも当事者にとってすごく大変なことを依頼していること、そしてそれが後になってから反動として負担をかけてしまうことなどを知ることになりました。自分のしていることが本当に当事者の方々にとってプラスになることなのか、これ以上進めていいのかと思ったといいます。

その時点で、以前から撮り進めていた現場を写したものである程度の形は完成していました。そして人を撮ることでリアリティを出すよりも現場という抽象を提示することで見る人に想像してもらう方がいいのではないかと考えたのです。しかしそれは自分の中の逃げだったと長谷川さん振り返ります。

そのタイミングで後藤由美氏に相談をする機会がありました。後藤氏は怖くなったり不安になることは悪いことではない。作品を作る上ではどうしても壁が現れるもので、それを超えられないのであれば、それまでだ。と語りました。自分が撮ろうと思っている人たちがそれまでにどんな思いで生きてきたのかということは、作家が不安に思ったり難しいと考えること以上の闇や苦しみの中にあるのだということなのです。

【当事者性】
児童虐待など個人の問題に関わる時に常に議題になるのは「当事者性」です。
長谷川さんは母という母性と、自身もやってしまうかもしれないという危機感を感じたことでこのプロジェクトを始めました。しかしそれ以上に、長谷川さんを含めそれを経験したことのない人々が同じ痛みを感じることができるのかというところに核があるのだと後藤氏は語りました。

当事者の方は自分たちの受けた経験や苦しみは、他の人たちには分からない、伝わらないだろうと考えてしまう、逆差別をしてしまうことがあるといいます。当事者でない人がそれを本当の意味で理解することが、わかることができるのか。全く経験したことのない人たちが同じ痛みを感じることができるのか。それができないままだと2つは分かれたまま、理解し合えないままになってしまうのです。だからこそ、当事者ではない長谷川さんがこの問題を提示する意味があるのです。

【小川詩織さん】
小川さんは自らのブログでも虐待の事実を公表しています。
撮られる時にどう受け入れられたのかという問いについて小川さんは、「長谷川さんから連絡をもらった時にすごく真剣な思いが伝わってきて、読んでいるうちに涙が出でくるほどでした。こんなに真剣になってくれる人がいるのだと知って会ってみたいと思うようになりました。実際に会った時にダミーブックを見せてもらって、虐待というものは見過ごされやすく、どちらかと言うと社会的にも目を向けられない問題ですが、それに対してすごく丁寧に調べられているのだなと感じることができました。そこから長谷川さんを信じることができ、彼女のプロジェクトに関わって自分も被写体になり、自分の人生経験を社会に還元できたらいいなと思うようになりました」と語られました。

【橋本隆生さん】
橋本さんもブログで発信をしていたのでコンタクトを取って会ってもらうことになりました。
プロジェクトのことを話すとすぐ、では自分が虐待を受けていた場所に行ってみましょうと提案をしてくれ、住んでいた家、通っていた学校など案内をしてくれたといいます。物腰の柔らかい人という印象を受ける橋本さんも幼少期の頃、父から虐待を受けていました。当時あまりに暴力がひどいため、母と一緒に逃げたが父に呼び出され、会うなり母は殴られ逃げるように去って行ってしまったそうです。その後ろ姿が橋本さんにとって母の最後の姿でした。

©MIKI HASEGAWA / Internal notebook

当時5歳。その後父と暮らすことになり、2つ下の弟は父の暴力により亡くなりました。ある日お弁当を食べきれなかったことに腹を立てた父が弟を風呂場でに連れて行き、気づいた時には溺死をしていました。
弟はたった3年間の人生を暴力を受け続けて育ち、亡くなってしまいました。救急車も来て、警察も駆けつけましたがその当時、虐待という概念がそもそも存在しておらず、ただの溺死ということになってしまったのです。橋本さんは彼(弟)が生きていて幸せだったのか、弟がなぜなくならなければならなかったのか問い続けました。

その後内縁の母からも虐待を受けることになります。新しい弟が産まれたものの、弟には一切触れることもできず、彼だけ虐待を受け続けていました。家に帰れず公園で過ごす時間の方が長くなり、児童相談所に保護され、戻されを繰り返したそうです。その末、養護施設に引き取られることとなりました。
現在、展示会場にある警棒は橋本さんが殴られていた実物です。彼はそれを持って逃げてきました。

いま彼は結婚してお子さんが2人おられます。ようやく今きちんと考えられるようになりましたが、それまで彼が苦しんだのはコミュニケーションが取れないことだったといいます。暴力の中でずっと育っていたためコミュニケーションをとることがうまくいかず、就職しても転職を繰り返していました。

自分をすごく否定をしていたり、低くみてしまいます。人と話していても自分の感情が正しいのか判断することができなかったり、状況をうまく折り合いをつけることができないのです。しかし自分に子どもができたことできちんと育てたいと思い、変わることができてきたといいます。転職を繰り返し、社会との繋がりが上手くできなかったという経験を、同じような人たちに何か自分にできることがないかと思い、現在はNPO団体の理事として生かそうとしています。

【山田可南さん】
山田さんは自ら長谷川さんに連絡を取りお話をしてくれた方です。現在、漫画家で、エッセイにより自分の体験を綴っています。

彼女は母と父親(だと思っていた人)と暮らしていた。母が男性依存症で様々な男性をとっかえひっかえしており、ほとんどを1人で過ごしてきました。そして父親となった人から性的なわいせつ行為を受けたことからひどく心に傷を負うことになります。

彼女の場合は漫画に自分の思いをぶつけて発散をしています。鬱になることや、PTSD、フラッシュバックなどはなかったと本人は言っていましたが、悪夢を何度も見るなどの症状はあり、本人が気づいていなかっただけなのかもしれません。

©MIKI HASEGAWA / Internal notebook

また彼女は自分の子どもにも虐待のようなことをしてしまったことがあると告白しています。それは子どもだけでなく夫にも。カッとなって殴ったり、怒鳴ったりしていました。今現在していません。その理由は、彼女は勉強をしたからです。子どもの世話の仕方がわからなかったから、暴力に走ってしまったのです。自分が育ってきた環境しか知らないから、本を読んだり、講座にいったり、とにかく勉強をしたのでした。

このことは私たちにも当てはまる考え方なのではないかと思いました。
これは誰か特定の人に向けられた表現ではありません。この社会の流れの中で生活をする私、みなさん、すべての人々にとって関わりの深い事柄であると言えます。長谷川さんの言葉に「特別な母親が犯した残酷な事件として大きく取り上げそして忘れていく。普通に暮らす私達には関係のないこととみなしてしまう。」とあります。自分の経験にないことであるために、どこかで他人事として受け取っている事実があるのではないでしょうか。

当事者の方々はその見た目からは判断することのできない問題を抱えていることが多く、育った環境上、常にへりくだった姿勢でいるために、自らの口から事情を話すことはしないといいます。
児童虐待と一言で言っても、それぞれの背景、育ってきた環境は異なり、決してひとくくりにすることはできない個人の問題です。とにかく話しを聴くこと。そしてその中からわずかなSOSを汲み取る必要があるのです。

Internal Notebook
Internal = 内部の意。写真集のなかでもインタビューの部分は開かないと内容が見ることができない作りになっています。それは人の中へ入っていく、一歩踏み込む行為を表しているのと、話しを聞くのを躊躇する人や今自分が聴く立場にないなと思う場合に見ないことを選択をすることもできるのです。しかしその開かなかった=聴かなかったということをも体験として経験をしてほしいと言います。

展示においてもポートレートの裏側にインタビューを載せ、鑑賞者が自ら見る選択を行うことで一歩踏み込む体験をしてもらおうとしています。

最後に実際に会場に足をお運び頂いた小川詩織さんより頂いたコメント
「自分でブログなどに書いていた時は、やはり自分自身の経験だけなので主観が強かったり、1人だけの経験でしたが、長谷川さんの被写体になることで、他の被写体の方の人生経験にもうれることができたり、同じ虐待という言葉の中でも、実際は一人一人の経験が違うので他の方から学ぶことも多かったです。それを客観的に長谷川さんに表現として提示してもらえたことで、自分自身の人生経験も俯瞰してみることができて視野が広く持てるようになったことはいいことだと思いました。」

©MIKI HASEGAWA / Internal notebook

明日(2017年11月7日現在)の8日、午後6時よりすみだ生涯学習センター(ユートリヤ) (Reminders Photography Stronghold Gallery 隣) B棟2階 マスターホールにて、墨田区主催 虐待防止講演会「虐待されるということ」がおこなわれます。

※講演会参加希望の方は10月2日から11月8日までに墨田区子育て支援総合センターへお申し込みをお願い致します。座席に空きがある場合、当日参加も可能となります。
Tel :03-5630-6351
※講演会終了後、Reminders Photography Stronghold Galleryにて特別に写真展をご覧頂けます。

みなさま是非ご参加ください。

©NATSUMI HISAMITSU / REMINDERS PHOTOGRAPHY STRONGHOLD

文責:久光菜津美(RPSインターン)