共有とドキュメンタリーのあり方 写真作品読解・眼光紙背を磨く #7 タミ・アフタブ写真集「The Rice is on the Hob」(読み解き:寺澤将幸)

Reminders Photography Strongholdキュレーターの後藤由美が提案した視覚芸術作品を読み解き、独自の解釈を共有する「眼光紙背を磨く」。「眼光紙背」とは、本に書いてあることを理解するだけではなく、深意に届くことを意味する四字熟語。「がんこうしはい」と読みます。この連載は眼光紙背を磨きながら、皆さんと一緒に作品を鑑賞することを目的にしています。第7回目は、パキスタンルーツの英国在住の女性写真家タミ・アフタブの写真集「The Rice is on the Hob」(ご飯はコンロの上に)を取り上げます。

画像提供:タミ・アフタブ

作者の父親は水頭症(頭蓋内に髄液が過剰に貯留して、内圧が高くなる病)を患い、何度か行われた手術の中で、短期記憶が失われるようになってしまいました。しばらくあいた過去に関しては父の記憶は確かなようで、そのひとつである「食」を媒介して、父娘のコミュニケーションが繰り広げられ、ある着地点に向かって展開していく作品となっています。
この記事の執筆者である寺澤は写真集を読み解き、その後タミ・アフタブにコンタクトを取って、写真集の狙いを直接うかがいました。

画像提供:タミ・アフタブ

■ファッションかドキュメンタリーか
ポップな表紙の写真集を開くと、懐かしさも温かさも感じさせるフィルムムービーのようなはじまり方で、父の生まれ故郷、パキスタン・ラホールを舞台に、記憶を巡る旅の感覚を呼び起こします。

タミ・アフタブが現地を訪れたのは3歳の時以来久しぶりとのことで、ほぼ初めての感覚。「これまで慣れていた計画的に撮影する普段のファッション写真とは異なり、今回の父に対してはドキュメンタリーのアプローチで取り組んだ」と話します。実際に彼女のクライアントもコーチのようなハイブランドやBMWといった大きなメーカーなど。ドキュメンタリーを主として撮影していない彼女だからこそ、写真のトーンも非常におしゃれでハートフルでもあります。

病そのものは非常に重いはずですが、彼女の温かいまなざしと、それに応える父親のやりとりが、重々しさを感じさせない明るさと程よい距離感で、見る側も優しく受け止められます。「このユーモアと個性は、私と父の関係を反映しています。ユーモアは苦難に対処する方法としても使うことができます。写真であなたを笑顔にしたいと考えました」と彼女はおしえてくれました。辛さに訴えるわけではなく、病と共存する生き方を親子関係と共に見せるという意味では、極めて現代的なドキュメンタリーなのかもしれません。

画像提供:タミ・アフタブ

画像提供:タミ・アフタブ

ちなみに写真集のタイトルの由来は、記憶がなくても家がうまく回るよう、父のために母が付箋でメモを家の中に貼っていた文言のひとつだそうです。間接的に現れる母の存在。また、父はもともと5年前から彼女によるポートレート作品に登場し、この延長線で父の過去と病を理解する作品に辿り着く。なんと素敵な家族関係でしょう。

■分かち合うための仕掛け

一冊の本としてこの作品を見ると、料理レシピが写真集の中に織り込まれた、非常に興味深いつくりになっています。レシピのページにはミシン目が入っていて、切り取って実際の調理にも使いやすくなっているのは、「らしさ」を演出しただけでない、作品へのこだわりを感じます。なお、写真集の末尾には、切り取ったレシピを収めるポケットも付いているので、ご安心を。

レシピには、父親による手書きのアドバイスが書き込まれています。父の過去の記憶が確かであることを示しつつ、父と娘のコミュニケーションに読者が立ち合うことになる構成です。一方で料理そのものの写真は登場しません。料理本にはしたくなかったという、彼女のねらいも込められているようです。

父親以外にも地域住民のポートレート写真が随所に登場し、「あなたの思い出の味は何ですか」という質問にそれぞれが答えています。そのすべてが母の手料理。パキスタンでは思い出の味は母の料理のようです。男性社会を表しているようにも感じます。本の中でただひとり父の料理としている人がいます。タミ・アフタブです。それは父親への個人的なメッセージなのでしょうか。もしかしてあるいは社会的なメッセージなのでしょうか

画像提供:タミ・アフタブ

思い出の味と記憶の確かさについて考えた時、スパイスを被写体として登場させるのは、記憶が五感に直結していることを示すためでしょう。視覚よりも他の感覚の方が記憶を呼び覚ます力が強く、料理は五感全てを扱いますし、特に嗅覚は過去を思い出させます。こうして料理を通じ、記憶の共有が可視化され、他者と関わる大切さを感じ取っていく中、この写真集の最後では真の目的である、父の記憶を自分以外の誰かにも共有しておきたいという、彼女と父の願いにたどりつきます。そう、気がつくと読者は、彼女の共有過程に巻き込まれているのです。ドキュメンタリーとして、写真そのものの力だけでなく写真を用いた行為からも、読者とアフタブ父娘との「共有」が達成する瞬間です。

■多層的な「共有」さらに

ところでこの写真集は、オランダのストレージサービス企業WeTransferがサポートして出版されました。同社はブランディングを徹底的に行い、クリエイターのためのストレージサービスとして確立されているようです。さしずめストレージ界のVimeoといったところでしょうか。同社はハイブランドの広告や、サブスクリプションによって収入を得、WePresentというプラットフォームでクリエイターを支援しています。

https://wepresent.wetransfer.com/stories/tami-aftab-the-rice-is-on-the-hob?utm_source=wetransfer&utm_medium=wallpaper&utm_campaign=wp_tamiaftab&utm_content=ver3

その支援対象クリエイターやサービスのプロモーションの中にドキュメンタリー作家が入ってきます。日本では少し考えにくいかもしれません。ドキュメンタリーと言えばカメラや写真関連メーカーによる支援がほとんどで、映像でも視聴者が限られて広告がつきにくく民放は深夜に流して、話題作であれば映画化される流れが一般的です。ニュースを直接制作するメディア以外でドキュメンタリー写真や映像を積極的に取り上げるのはYahoo! JAPANが挙げられるでしょうか。

海外では企業ブランディングにドキュメンタリー作品が取り扱われるのは耳にします。5年前の話にはなりますが、宿泊プラットフォームである「Airbnb」はドキュメンタリー映画をプロデュースし、その中のひとつ「Gay Chorus Deep South」は映画祭でプレミア上映となりました。同社の掲げるミッション「誰でもどこかに帰属できる場所を提供すること」の一環として制作されました。

https://news.airbnb.com/airbnb-produced-documentary-film-gay-chorus-deep-south-to-premiere-at-tribeca-film-festival-on-april-29/

ここで私はいま、ドキュメンタリーという「記録性」、この作品に見える「共有」行為は、まさにオンラインストレージを提供するWeTransferの仕事に、合致していることに気づかされるのでした。そして、プラットフォームWePresentとしても「多様性を擁護する」ことを目標に掲げています。

彼女は言います。「私がこの本でも伝えたかった主なことの一つは、病気や障害を抱えて生きることは恥ずかしいことではないということです。撮影でのコラボレーションにより、お父さんは自分の障害について以前よりも気楽に話せるようになり、障害があるからこそ自分が誰であるかを誇りに思うようになりました」。

文:寺澤将幸
てらざわ まさゆき:1978年生まれ。2005年、日本経済新聞社に入社。2022年度までは写真映像記者として、外国人労働、発達障がい、東日本大震災などの取材に取り組んできました。震災の取材以降、インターネットや写真展示で多様化する視覚表現を目の当たりにし、超高解像写真、ドローン撮影、VR映像、フォトグラメトリの技術をいち早く報道に取り入れてきました。現在はデスク(編集者)として引き続き、デジタルストーリーテリングに力を入れています。
https://twitter.com/m_terazawa


タイトルに使った「眼光紙背」とは、本に書いてあることを理解するだけではなく、深意に届くことを意味する四字熟語。「がんこうしはい」と読む。この連載は眼光紙背を磨きながら、皆さんと一緒に作品を鑑賞することを目的にしています。


2月24日午後7時から【千本ノックの夜:共有とドキュメンタリーのあり方】と題して、2月10日~25日にかけてRPSで写真展「Aabuku」を開催中の鈴木萌と寺澤将幸とのトークイベントを開催します。司会進行はRPSキュレーターの後藤由美。沖縄県における「有機フッ素化合物」(PFAS)による水や土壌汚染をテーマにしたドキュメンタリー作品「Aabuku」を、鈴木萌はどのような方法で来場者と「共有」を図っているのか。会場にずらりと並ぶポートレートの意図から、同タイトルの写真集の構成まで、今回の「眼光紙背を磨く」と同じ切り口で対話します。ぜひお越しください。

◉日時:2024年2月24日(土)午後7時頃〜(トークの時間は1時間半ほどの予定)、終了後には歓談の時間を設けます。
◉言語:日本語
◉会場:Reminders Photography Stronghold
東京都墨田区東向島2-38-5
◉参加費:無料
※ネット配信はありません。参加ご希望の方は直接会場にお越しください。事前の予約は必要ありません。


これまでのアーカイブ

#1 汚泥の中に写真の本質が隠れている?  ルーカス・レフラー「シルバー・クリーク」(読み解き:松村和彦)
https://reminders-project.org/rps/gankoshihai1jp/

#2 本に物質性を宿し、鑑賞を体験に引き上げる ガレス・フィリップス「ザ アビズム」読み解き:松村和彦)https://reminders-project.org/rps/gankoshihai2jp/

#3 戦争が生んだ副産物は牧歌的なロシアを真っ直ぐに見せてくれない アレキサンダー・グロンスキーのインタビュー読み解き:松村和彦)
https://reminders-project.org/rps/https-reminders-project-org-rps-gankoshihai3jp/

#4 薬は私たちを本当に幸せにしているのか? アルノー・ロベール / パオロ・ウッズ「HAPPY PILLS」読み解き:松村和彦)
https://reminders-project.org/rps/gankoshihai4jp/

 #5 ホロコーストを伝えるために家族の写真を燃やす サラ・ダヴィッドマンの「マイ ネーム イズ サラ」
読み解き:松村和彦)
https://reminders-project.org/rps/gankoshihai5jp/

#5 作品解釈の自由と脅威 写真作品読解・眼光紙背を磨く #6 孙原と彭禹の「CAN’T HELP MYSELF」(読み解き:寺澤将幸)
https://reminders-project.org/rps/gankoshihai6jp/