汚泥の中に写真の本質が隠れている? 写真作品読解・眼光紙背を磨く #1 ルーカス・レフラー「シルバー・クリーク」
眼光紙背。本に書いてあることを理解するだけではなく、深意に届くことを意味する四字熟語で、「がんこうしはい」と読みます。Reminders Photography Strongholdでは「眼光紙背に徹す」との名称で作品制作のワークショップを開催するなど、大切にしている考えです。
先日、キュレーターの後藤由美は、写真家の松村和彦にプロジェクトの参考にと写真作品の英語記事を紹介しました。写真の読解力を深め、制作に生かしてもらうことが目的でした。
松村は自身の鍛錬として短いレポートを後藤に送ることにしました。それはメッセージでのやり取りでしたが、写真の読み解きに興味を持ってもらえればと思い、皆さんと共有することにしました。
今後、さまざまな作品を取り上げ、不定期で連載を続けていければと考えています。連載のタイトルのように眼光紙背を磨きながら、皆さんと一緒に作品を鑑賞できればと思います。
ルーカス・レフラー(Lucas Leffler)のシルバー・クリーク(Zilverbeek、Silver Creek)を紹介したfisheyeの記事を取り上げます。1920年代以降写真フィルム工場が大量の銀を流出させていた小川から、工場に勤める男性が銀を回収するシステムを発明した実話に基づき制作されました。
以下は松村の読み解きです。
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ルーカス・レフラーの記事を読みました。興味深かった点は3点あります。
1つ目は、リサーチを踏まえて、フィクションによる再解釈に踏み出した点です。汚泥から銀を抽出していた男性に「なったつもり」で作家が汚泥に銀を足して感光剤を作ってプリントすることはもちろん、直接は関係ないけど産業的背景から連想して鉄板も使ってみるというところはおもしろいですね。
2つ目は、アーカイブをそのまま使うのではなく、暗室作業で化学的に消失させたこともおもしろかったです。
最後3つ目は、写真が物質であり、体験するものだという話も良かったです。
そして、僕が興味深いと感じた3点は、すべて写真産業の歴史的な文脈の暗喩になっています。
1つ目の現在は汚泥に銀が含まれていないことと鉄がさびていること、そして2つ目の画像が消失していることは、写真フィルムの製造産業がほぼなくなったことを示しています。3つ目の「写真が物質である」との主題もデジタル化した写真が物質性を失っていることと関係する言葉です。
最後に、このストーリーのモチーフになっている男性のことを想像しました。汚泥から銀を取り出すことを思いついた人で、お金にめざとい人だったのは間違いないと思いますが、汚泥の向こう側が見えた人だとも思います。この男性と作家が融合した人物が語り手となることは、写真の物質性を伝える上でとてもいいアイデアだと思いました。
文:松村和彦
まつむら かずひこ : 新聞社の写真記者として働きながら、作品制作に取り組む。前作、「見えない虹」は2019年春に京都国際写真祭KYOTOGRAPHIEのサテライトイベントKG+で写真展を開催。2021年度写真新世紀で佳作受賞。写真集に「花也」(14年、京都新聞出版センター)や「ぐるぐる」(16年、自主制作)がある。現在、認知症の取材に取り組む。
https://www.instagram.com/kazuhiko.matsumura81/
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写真集は以下のサイトで見られます。RPSの図書館にも収蔵されているので、気になった方は手にとって感想を聞かせてください。
https://www.eriskayconnection.com/home/85-zilverbeek.html
https://www.facebook.com/watch/?v=659344654624574