[イベントレポート]藤井ヨシカツ写真展「Hiroshima Graph – Rabbits abandon their children」

藤井ヨシカツ写真展「Hiroshima Graph – Rabbits abandon their children」は2018年8月11日にオープニングを迎えました。
初日のアーティストトークを元に作品の背景を記事にして公開致します。

藤井さんはRPS主催の写真集制作ワークショップの第1期生で、展示をされるのは今回で3度目となります。2014年度のワークショップPhotobook as objectに参加し、両親の離婚をテーマにした手製写真集「Red String」を販売。父親、母親それぞれのストーリーを並び合う形で表現した同作は、海外のダミーブックアワードを多数受賞しました。その翌年、離婚した3月に写真展を開催しました。

しかし内容は「Red String」ではなく、両親と自分の関係を越え、家族間にある複雑さや心の葛藤を視覚化した、「Incipient Strangers (他人のはじまり)」という作品でした。

Red Stringが凝った作りだとすると、Incipient Strangersは印刷から製本までシンプルな本だと言えます。前作とは違った表現手法に挑戦し、家族という不思議な関係について別の視点を観客に投げかけました。この本もイタリアの写真祭Self Publishing Photolux Award 2015で最優秀賞を受賞しています。

作家として世界に認知され始めた藤井さんが写真展では別の表現に取り組んだのには理由がありました。
一つの作品だけにとどまらず、派生した作品を制作する実力を証明してみせること、そして、同じ「家族」でも少し時間が経てば生まれる変化を視覚化することです。

そして2016年にイタリアの出版社「ceiba」から「Red String」の普及版が出版され、一度は見送った同作の写真展は時を経て、開催されることとなりました。

藤井さんは過去2作でパーソナルな出来事を主題にしましたが、次のプロジェクトでは社会的なテーマに取り組もうと決めました。
広島出身の自分にできること。幼少の頃から学校で平和教育を受け、被爆者の祖母から話を聞いて育ちました。しかし東京に来てみるとそういった話を耳にすることは少なく、8月に手を合わせる習慣がないことに驚いたと言います。その衝撃から戦争に関することを視覚化しなくてはと感じました。
そしてRed Stringを作った経験から、本を作ることによって人に伝えることができるのではないかと思ったのです。

写真集制作にはリサーチに1年以上を掛けました。そして2016年度に開催された写真集制作ワークショップPhotobook Master classに参加をし、作品づくりをしていきました。本が完成するまでには3年の月日を要しました。

プロジェクトは一冊の本との出合いから始まります。

「おおくのしま 平和学習ガイドブック」を監修された山内正之さん。現在、大久野島の歴史を伝承するフィールドワークのガイドをしています。

大久野島は広島県竹原市にあり、現在「ウサギの島」と称され年間40万人以上の観光客が訪れる名所となっています。しかし戦時中の暗い歴史を持っていました。
日中戦争から第2次世界大戦にかけて密かに毒ガスの製造が行われていたのです。島には今もその跡が多く残されており、山内さんは訪れた人々にその事実を伝えています。

藤井さんは大久野島に隠された歴史を知り、それをプロジェクトとして進めることにしました。
当時毒ガスの製造に関わっていた方の存命者は現在80~90歳以上。その方々とコンタクトを取りながら制作を進めていきます。

展示会場の壁の1つには、当時毒ガスの製造に関わっていた3名の方のインタビューが展示されています。

彼らとは山内さんを通じて知り合いになり、インタビューを重ねました。

連絡が取れた方の中には話したくないという人もいました。話をする事で自分が加害者である、毒ガスを製造することで間接的にでも人を殺すことに関わっていたということを認めることの恐れから断られることがあったと言います。

写真集になるということはインタビューをした藤井さんだけでなく、より多くの不特定多数の人に知られることになります。それでもインタビューを受けようと決めた方たちが公に出ようと決めたのはやはり、後世に伝えていかなければいけないという責任と、自分が加害者であるということから自分を責める気持ちでもあると言いました。

中央の女性、岡田黎子んはこれまでにもメディアの取材に応じた経験がありますが、その取り上げられ方や記者の人の態度に不信感を持っていると言います。しかし藤井さんが地元の人であることや被爆三世であることから信頼感を得て、取材をすることが可能となりました。

話を聴くと、先生からお金を稼ぎながら勉強ができると誘われ、学徒動員で志願して島に来たこと、そして
着いてみると毒ガスを製造する仕事だと知らされたことがわかりました。

毒ガス製造に関わった人たちは「被害者であり加害者でもある」という言われ方をする時がありますが、本人たちにとってはそのような単純な話ではないのです。
藤井さんは作品化していく中で問題を一括りにはしませんでした。そして彼らの思いをどのように形にすればいいかと悩み、世間への発表のやり方に気をつけたと言います。

写真集の中でのインタビューは編集せずに、話した言葉をそのまま使用しました。それは藤井さんの編集が入ることで彼らの発言の意図が変わらないようにするためでした。
新聞記事などは簡潔に書かれており、読む側としては容易に事実を知ることができるかもしれません。しかしあえて受け取った言葉をそのまま書くことで、読む側にも複雑さをそのまま届けることにしたのです。

【展示説明 – ソーシャルランドスケープ】

©︎Yoshikatsu Fujii / Hiroshima Graph – Rabbits abandon their children

これは当時使用されていた毒ガス製造器具です。山に登っていくと地面に普通に転がっており、現在でも掘ればゴロゴロ出てきます。それらは戦後処理で慌てて地面に埋めたものでした。
素材は陶磁器で、常滑焼などで作られているものがほとんどと言われています。
島には現在も30箇所以上防空壕が残っており、そのうち10箇所ほどにまだ毒ガスが残されています。また地中や海にも多く残されていると推測されています。

壁を大きく占めている絵は戦時中の絵葉書です。これは藤井さんが写真集制作にあたり、リサーチを進める中で広島市内の古本屋で見つけました。
この格好で毒ガスを製造していました。これだけの重装備でも脱衣の際に毒ガスが付着し被害を受けることもありました。

2枚の白い地図は同じ大久野島付近のものです。毒ガスを製造していることは完全極秘事項であり地図から消されていた時期がありました。周辺も白く塗りつぶされているのは、毒ガスを保管していたことや、毒ガスを製造している場所を特定されないため、という理由も推測されています。

©︎Yoshikatsu Fujii / Hiroshima Graph – Rabbits abandon their children


ここは当時600tの毒ガスが保管されていた貯蔵庫です。(写真左;貯蔵庫の外観、右;壁の様子)
壁が真っ黒になっているのは戦後処理
の際に壁や床に残った毒ガスを火炎放射器(ガスバーナー)で焼いた跡と言います。
毒ガス製造時代に働いていた人よりもむしろその戦後処理に関わった人たちの方が、直接手で触れるなどしたために付着する確率が高く、そのため被害を多く受け、長生きしてる人はいないと言います。
意味を知らないと壁はただ黒いだけに見えるかもしれません。しかし藤井さんは綿密なリサーチを行うことで景色の中に意味を持たせています。写真が美しいことよりも、写真に意味があることの方が重要だと考えているのです。

©︎Yoshikatsu Fujii / Hiroshima Graph – Rabbits abandon their children

現在物置になっているここは、当時毒ガス研究所でした。作った毒ガスの効果をウサギや十四松(鳥)を使い、試していました。現在島内に700羽~1000羽いると言われるウサギとは無関係で、その時代のウサギは戦後処理で殺されました。

では、なぜウサギをたくさん連れてきて「ウサギの島」としたのでしょうか。
それは大久野島に国民休暇村を作った際に、可愛い動物を飼う案が挙がり、宮島が近いこともあり、鹿が候補となりましたが、周囲4kmほどの小さな島に鹿が溢れてしまうことを懸念して、小動物であるウサギを飼うことになりました。
最初は小学校で飼われていた白うさぎ5羽だったものが檻から逃げて繁殖してしまいました。またこの島に来てウサギを捨てていく人が増えたことで現在のように多くの種類のウサギが交配するようになりました。
周囲4kmの島では400羽までしか生きられないと推定されているにも関わらず、現在それ以上のウサギが生活できているのは観光客がエサをあげたり、天敵がいないことが原因であると言われています。

観光客のほとんどがそのウサギを求めて船に乗り大久野島を訪れています。週末にはフェリーに乗り切れないほどの数だと言います。しかしそのことでこの島で平和学習をする生徒たちが来られない状況にもなっています。

1998年に当時の文部省から広島県教育委員会に平和学習に関する是正指導がありました。それによって学校の授業の中で平和学習を行うことが難しくなったのです。広島市教育委員会にはそうした介入はなく、原爆や空襲については変わらず学習しています。しかし大久野島については、今では私立の学校しか平和学習に訪れていません。

 

「Hiroshima Graph – Rabbits abandon their children」を完成させた藤井さんはその続きとなる作品として、現在新たにプロジェクトを進めています。広島の歴史はまだまだたくさんの問題を抱えています。

そもそもなぜ大久野島で毒ガスが作られることになったのか。遺棄毒ガスは現在どういう状況なのか。この島で作られた毒ガスは主に中国で使われ、終戦時に証拠隠滅のため日本軍が大量に廃棄し、戦後70年経った今でも地中から発掘され、それに伴う被害者も出ています。

広島の歴史的な問題でも原爆を調査している人はたくさんいますが、その人たちとどう差別化できるのか。自分が被爆三世であることがきっかけであっても、なかなか作品化することは困難を極めます。

しかし藤井さんは今回の作品を経たことで自分の写真を通して人々がその問題に向き合うきっかけとなったり、社会に還元したりすることは意味のあることだと感じました。そしてそれは大久野島に限った事ではなく、他の土地にも知られていない歴史は多くあり、そういったものに目を向ける機会になればいいと言います。

藤井さんは9月5日からオランダで開催されるBreda Photoに写真家 千賀健史さんとともに参加されます。この展示ではRPSの後藤由美がキュレーターの一人として参加することとなっており、写真祭のテーマ「無限の彼方へ」にあわせて藤井さん、千賀さんの作品が展示されます。
写真祭から求められたのは、現代の進んだ科学技術や未来を予兆、意識させるような作品でした。
しかし、後藤は、無限の彼方を語る上で歴史的なことは無視できないと考えました。歴史を振り返り、そこから学ぶ。そしてどのように未来に活かすのかを考える必要があるということです。

広島の歴史は原爆のことを含めてもまだまだ知らない人が多いのではないでしょうか。目を覆いたくなるような現実や振り返りたくない過去であったとしてもそれらは史実として確かに存在しています。私たちは向き合いそこから未来への語りを始めなければなりません。

編集:後藤由美、藤井ヨシカツ、松村和彦
文責・写真:久光菜津美