[イベントレポート]林田真季 写真展「Almost Transparent Island」❷
林田真季 写真展『Almost Transparent Island』のオープニングイベントとして6月8日に開催したトークおよび、会期中の6月16日に開催した写真集イベント3BOOKSでお話いただいた内容を記事として公開致します。
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豊島では100万トンにも及ぶ産業廃棄物(以下:産廃)の不法投棄が1970年代後半から80年代にかけて行われ、、1990年の告発を機に不法投棄自体は終了したが、その後の公害調定成立までに長い闘いがあり、島からの産廃撤去が始まったのが、2003年。完了したのが2017年3月。ようやく全ての産廃が島からなくなった。豊島事件と呼ばれ、今年で44年経つという。
この事件は大量生産・大量消費が間接的な要因の一つだと言われている。
それではなぜ豊島で事件が起こったのだろうか。
【豊島がゴミの島となった理由】
産廃が捨てられる前の海岸には綺麗なビーチが広がっていた。その砂の中にはガラス製品になるケイ素が含まれていたことから、産廃業者は商売のためにビーチを掘り、砂を採取していた。全ての砂を掘り尽くしてしまうと次は山を切り崩し、山砂利を採掘した。そうして切り崩された山や掘られたビーチに産廃を廃棄した。
産廃にはあらゆるものが 混在していたという。
車両や電化製品をはじめとした産業製品やドクロマークのついたドラム缶のように一見何が入っているのかわからないものもあった。日本のゴミなのかすら判明しないものまであったそうだ。豊島は神戸に近いことから、世界中から神戸に運ばれてきた産廃も豊島に持ち込みやすかったという。
人の目に触れにくい場所に廃棄されていたとはいえ、なぜこれだけ多くの産廃を放置できたのだろうか。
車などの大きなものを解体するため騒音が響き渡り、ドラム缶などを野焼きしていたため黒い煙も出ていたようで、誰も見ていなかったわけはなく、見て見ぬふりをしていたということだろうか。
原因の一つには香川県の黙認があった。当時は経済成長期であり大量生産・大量消費が当たり前だった。産業製品は生産を繰り返すばかりで、それらを処理することが念頭になく、その結果、処理に困り果てることとなり誰も見ていないところに捨てられるようになったというのだ。
そして処理しにくい産廃をお金を支払うことでその処理を産廃業者が肩代わし、、100万トンという膨大な数となった。引き取られたゴミは産廃となり、もはや本当の持ち主もどこに捨てられたかわからない状況になっていた。
ゴミの撤去に関しては、行政と住民の間で話し合われた。長きにわたる公害調停を経て、2003年から撤去が開始された。
手順としては豊島で梱包、隣島である直島へ運び、直島で中間処理を行うというものだ。この処理については、他の地域での不法投棄事件と異なる点がある。それはゴミを埋め立てるのではなく無害化処理していることだ。産廃として出たドラム缶などの外装は金属として再利用。内側のものは原子レベルまで細分化し、使えるものは再利用した。
豊島から直島に移すだけでは当然ながらただ廃棄場所が移動しただけになってしまう。そこから産廃を無害化するという約束を香川県と豊島住民は交わしたのだ。
ゴミの細分化は直島にある三菱マテリアル工場で行われた。当初は豊島に拠点がおかれる予定だったが、豊島住民は農作物を第一産業にしたいと訴え、マテリアル工場は直島に建てられることになった。
もしマテリアル工場を豊島に受け入れていたら、豊島事件は直島事件となっていたかもしれない。そして現在のようなアートの島としても栄えていなかったかもしれない。
直島の住民にはサラリーマンが多い。そのためマテリアル工場を職場とすることで安定的に勤務し、人々が島内で生活をすることができ、直島町に税金を収めることもできる。法人税の収入もある。そして直島の経済は豊かになり芸術祭を開催することにも繋がるのだ。
44年経った今も豊島事件は完全には終息していない。
島からゴミはなくなったものの、不法投棄現場はまだ汚染されている。いつ元に戻るかは不明であり、一見事件は終わったように思えるが水面下ではまだ続いているのだ。その現状を踏まえて林田さんは本作を『Almost Transparent Island』=「ほとんど透明な島」と名付けた。
現在、当時ゴミの投棄場所となっていたビーチは産廃が掘り出されたままで、切り崩された山は岩肌があらわになっている。豊島住民が管理しているため、事前予約をすれば現地を見学することが可能だ。また当時産廃業者が事務所として使用していた建物も残っており、そこでは豊島事件の資料が展示されている。
今回の展示はその資料館になぞらえて構成されている。
【写真展と写真集の構成】
Reminders Photography Strongholdで開催中の写真展『Almost Transparent Island』は林田さんが2017年夏から撮影した豊島の風景写真が手前に、それと対になるように裏面には産廃が島にあったころの写真が展示されている。手前からは過去の事件が透けて見え、後ろに回り込むと過去の事件の頃の写真しか見ることができない。
宙づりになったそれらの写真を通り抜けて奥に進むと、展示室を模した年表と資料の数々を見ることができる。展示の構成上、簡単に全貌を見渡すことはできない。それも作品のコンセプトと関係している。遠くから見て綺麗な写真だと思って立ち去ることもできるが、奥に入ることで豊島のことがより理解できるという仕組みになっているのだ。
そして本展開催に併せ刊行された『Almost Transparent Island』は林田さんの3作目となる写真集だ。
豊島事件を直接見せない方法で構成したいと考えた林田さんは、事件を知らない人にも本を通してまずは島に興味持ってもらいたいと語った。仕様は写真展と同様、現在の向こうに過去が垣間見える構成となっている。極端に薄く、透ける紙の表裏に写真を印刷した過去と現在の写真は重なって1枚のイメージに見える。表裏で素材が異なり、ツルツルの面はプラスチックなど有機的なものを想起させるようにとアーカイブ写真を印刷。ザラザラの面には林田さんが撮影した産廃撤去後の島の風景写真が印刷されている。
テクスチャーの違いも林田さんは作品づくりに生かしている。「詳細を知ることで理解が深まることもこの本から感じてほしい」と林田さんは言う。写真集の本文は内側に年表、外側にドクロマークのついたドラム缶が印刷されたポスターによって包まれる。ゴミが何層にもなっていたことから、本も包む形にしたと言う。
そして真空パックのビニール袋に入れられ、写真集は完成する。
過去の出来事をそのまま永久保存しておくことも出来るが、袋を破ることから、写真集を通じた豊島事件についての体験が始まる。
豊島事件は現在の我々の生活にも影響している。例えば車を購入する際に支払うリサイクル費用。これは車を不法投棄できないようにするためにできた規則である。またゴミの分別をしやすくするための「プラ」「ペット」「紙」などの表示ものでこの事件を契機にできた
豊島も舞台の一つとなっている瀬戸内国際芸術祭は今年も開催される。日本国内外多くの人がその地を訪れることだろう。アート目的の観光客も増えたことで、過去の豊島事件を知らない人々が多くなっていることを実感したと林田さん、佐々木さんは共に言う。
アートを通して島を活性化する試みは成功していても、ゴミの話をする人が少なくなってしまったことは島の人にとっては喜ばしいことでもありながら危惧することでもある。
「島に訪れる人が増えることで地元のお年寄りが人と触れ合うようになり、おしゃれをしたり、会話を楽しんだり、生き生きしていて、それがすごく素敵だと思った。そのようにお互いが良い気分になっているのを見ると、人を送り込むというのは良いことだと思った」と林田さんは語る。
一方で芸術祭では観光客が持ち込んだゴミを島に放置するなどマナー違反も見られる。SNS投稿の写真を撮って満足して帰ってしまう人々が多く目につくようになったのだ。人が溢れすぎて豊島が許容できる範囲を超えてしまっているのかもしれない。
アートの島として知られる直島と豊島。林田さんの作品は「あなたが見ている景色は本当か」と問いかけている。
その向こうには、人々の暮らしがあり、事件も含めた島の歴史が広がっている。
文責:久光菜津美
編集:林田真季、松村和彦、後藤由美