薬は私たちを本当に幸せにしているのか? 写真作品読解・眼光紙背を磨く #4 アルノー・ロベールとパオロ・ウッズの「HAPPY PILLS」
キュレーターの後藤由美が提案した海外の写真作品をRPS京都分室長で写真家の松村和彦が読み解く「眼光紙背を磨く」。第4回目は、ジャーナリストのアルノー・ロベール(Arnaud Robert)と写真家のパオロ・ウッズ(Paolo Woods)の写真集「ハッピー・ピルズ(HAPPY PILLS)」を取り上げます。
「薬」と聞いて一番に浮かぶイメージは「病気を治す」ではないでしょうか。しかし、私たちの身近な生活に存在している薬はその範ちゅうを軽く飛び越えます。人々の欲望や不安、そして資本主義と密接に結びつき、ときには健康を害するという本末転倒な結論を招いても、現代においてはそれは「薬」なのです。言われてみるとそうかもしれないと思う方も、何の話かわからない方も、この作品を見れば一目瞭然です。
世界各国を取材した大作ですが、まずは以前「ナショナル ジオグラフィック日本版」の 2017年 6月号で読んだ記事からご紹介します。雑誌で写真を見て、とても印象に残りました。現在もウェブサイトで一部紹介されています。
ハイチの首都ポルトープランスの街角を行き来する薬の露天商を白い背景で撮ったポートレートのシリーズです。写真は、パオロさんとガブリエレ・ガリンベルティ(Gabriele Galimberti)さんの共作です。
パオロさんのオフィシャルウェブサイトでは、写真とアルノーさんの文章が一緒に紹介されています。記事は、売り子がお客の目を惹きつけるために薬を色鮮やかに美しく、高らかに積み上げるが、専門知識はなく、偽造薬や期限切れが混じるなど危険性もあると指摘しています。
とある国の特有の問題を撮ったシリーズに見えますが、安易な服薬や購買意欲をかき立てる広告、安全性の欠如、そして、それらを抱えざるを得ない人間という要素は、世界各地で起こっている普遍的な構図をシンプルかつ力強く捉えています。
ほかのシリーズが紹介されているウェブサイトも見ていきましょう。
写真とビジュアルストーリーを扱うオンラインマガジン「Blind」のミハエル・ナウリン(Michaël Naulin)さんの記事では、作者たちが薬と人の関係を表すためにさまざまなアプローチを行ったことがわかります。
Blindで紹介されている1枚です。「ホーム・ファーマ」と名付けられたシリーズで、こちらもガブリエレさんがこのプロジェクトのために制作しています。世界各地で家庭内にある薬を並べてもらって撮影しています。
記事は、2020年に世界人口の50%が1日1回以上薬を消費していることや、製薬業界の売上高が2001年から2019年で約3倍になったことを紹介しています。
この写真を見て思ったことは「医療の拡大と普通の縮小」です。
人類学者の磯野真穂さんは2022年5月20日の京都新聞朝刊に掲載された寄稿「増え続ける障害の種類」で、自身が研究する摂食障害の種類がどんどん増えることを不思議に思い、心理学の教授に尋ねると、「新しい疾患を確立すると、それが学者の業績となるから」との答えが返ってきたといいます。
医療人類学者のアーサー・クラインマンは著書(ケアをすることの意味・誠信書房)の中で、米国で5人にひとりの子どもが何らかの向精神薬を毎日服薬していると言われていると紹介し、内気であるとか静かに暮らしていることが病気になって薬剤の販売促進が起こったと指摘しています。
2つの例から、競争と資本主義で拡大した医療が普通に浸食していることがわかります。もちろん、診断や薬が役立つ人もいるでしょう。一方で、普通が狭められ、苦しんでいる人もいるかもしれません。周囲の理解やサポートで解決できることを、医療や薬で治療しようとしていないでしょうか。
私が今、取材している認知症は現時点で治療薬がありません。症状を緩和する薬があるだけです。アルツハイマー病など原因となる病気もありますが、加齢に伴って認知症になる人が増えるため、通常の老いの一部と捉えることもできます。薬も必要ですが、本人や周囲の人、そして社会が症状を受け入れ、ケアすることがとても大切だと実感しています。
ガブリエレさんのウェブサイトでは「ホーム・ファーマ」のシリーズ全体が見られます。
ちなみに、ガブリエレさんは個人宅で撮るポートレートシリーズで有名な作家で、アメリカの銃所持の実相を表したシリーズはとても印象的です。ウェブサイトを訪れた方はぜひそちらもご覧ください。タイトルは「ジ・アメリガンズ(The Ameriguns)」。
Blindの記事に戻りましょう。「治療」ではない薬も登場します。成長ホルモンやステロイドを服用するボディビルダーや、客と会う前にバイアグラを摂取するジゴロの写真も掲載されています。容姿や性の欲求を満たすための薬も存在するのです。そして、癌を患った方を自殺ほう助する薬も。
私たちが一言で「薬」と呼ぶものにはさまざまな側面があります。「その薬は私を本当に幸せにしているのか?」。手のひらに錠剤を載せるたびに、私たちは考えた方がいいでしょう。
展示の様子を紹介するウェブサイトも見つけました。とても興味深いです。https://fermedestilleuls.ch/exhibition/happy-pills/
文:松村和彦
まつむら かずひこ : 京都新聞の写真記者として働きながら、作品制作に取り組む。認知症についての写真展「心の糸」で2022年KG+SELECTグランプリを受賞、これを受けて2023年の京都国際写真祭KYOTOGRAPHIEで展示することが決定している。他の作品に、医師の早川一光さんの人生を通じて日本の社会保障史をたどった「見えない虹」、自身の家族の生と死を通じて命のつながりを描いた「ぐるぐる」など。2022年4月よりRPS京都分室パプロル分室長を務める。
Instagram:@kazuhiko.matsumura81
Facebook: https://www.facebook.com/kazuhiko.matsumura81/
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タイトルに使った「眼光紙背」とは、本に書いてあることを理解するだけではなく、深意に届くことを意味する四字熟語。「がんこうしはい」と読む。この連載は眼光紙背を磨きながら、皆さんと一緒に作品を鑑賞することを目的にしています。
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