[イベントレポート]林田真季 写真展「Almost Transparent Island」❶

林田真季 写真展『Almost Transparent Island』のオープニングイベントとして6月8日に開催したトークおよび、会期中の6月16日に開催した写真集イベント3BOOKSでお話いただいた内容を記事として公開致します。

Maki Hayashida / Almost Transparent Island

トークイベントでは学芸員であり作家の佐々木良さんをお招きし、本作の舞台となる豊島(てしま)について詳しくお話を伺い、林田さんにはプロジェクトの解説をしていただきました。そして3BOOKSでは「Social Landscapes」をテーマに写真集を囲んでのディスカッションが行われ、林田さんには写真集『Almost Transparent Island』についてお話頂きました。

林田さんは2014年度にReminders Photography Strongholdで開催された写真集制作ワークショップ「Photobook as object 」にて日本の里山・里海を軸にしたプロジェクト「JAPAN-GO-ROUND」の製作・販売を経て、長崎県五島列島にある2つの島の風景をまとめた「The Pacific Tourist」の製作に取り組みました。

これまでの作品は、現実に存在していながらも、どこか虚構めいた光景を意識的に写し取っていました。見ている人に「あなたが見ている景色は本当か」を問いかけていました。
今作『Almost Transparent Island』では新たな試みとして、島の事件を丹念にリサーチし、アーカイブや歴史の資料を作品に取り入れました。今作では「現実」に対して取材も加えたのです。
しかし、取材で集まった様々な情報や要素をわかりやすく構成し、概要を解説するような作品にはしませんでした。見る者に問いかける大きな余白を持った林田さんの作風に取り込みました。
作家が作品を制作する時は、解釈が表現となって出てくるのです。林田さんの本作に対する解釈とは、集めた様々な情報や要素を現実の風景に溶け込ませるというものでした。
「あなたが見ている景色は本当か」鑑賞者が能動的に知ろうとしなければ、知り得ないことがあるのではないかと問いかけているのです。

本記事では豊島事件の概要に迫った内容が記載されています。本作の舞台となる豊島は3年に1度開催される瀬戸内国際芸術祭の舞台にもなっており、現在は国内外から多くの観光客が訪れています。真っ新の状態で島を眺めたい方はここで本記事を読み止めて頂いて構いません。
そして思い出した頃にぜひご一読頂けますと幸いです。

Maki Hayashida / Almost Transparent Island

【豊島とは】
本作『Almost Transparent Island』は、香川県の豊島を舞台とした作品だ。
香川県は都道府県で一番小さい県として知られるが、島がいくつも点在している。その中で一番大きい島が小豆島で、日本で13番目に大きい島だ。そして香川県内で2番目に大きいのが本作の舞台、豊島だ。豊島は豊かな島と書き「てしま」と読む。
隣接する岡山県では「とよしま」と呼ばれていたものの、江戸時代には呼び方が合併され「としま」に統一された。

豊島では産業廃棄物(以下:産廃)の不法投棄が1970年代後半から80年代にかけて行われ、、1990年の告発を機に不法投棄自体は終了したが、その後の公害調定成立までに長い闘いがあり、島からの産廃撤去が始まったのが、2003年。完了したのが2017年3月。ようやく全ての産廃が島からなくなった。豊島事件と呼ばれ、今年で44年経つという。

林田さんが初めて豊島を訪れたのは2013年。豊島はアートの島として最も有名な直島の隣の島にあり、豊島にもアートを観に行くために訪れたという。そこでこの事件のことを知って驚き、2017年7月、再び島を訪れ、すでに産廃が島から運び終わった後の風景の撮影を開始した。

「自分も同じように、初めてこの地を訪れたときは空気の綺麗なこの島にこんな背景があるのかと驚いた一人」と語るのは佐々木良さん。佐々木さんは豊島美術館の設立メンバーの一人であり、書籍『美術館ができるまで』の著者でもある。
林田さんがこのプロジェクトを取り組むにあたって事件の概要だけではなく、豊島の出来事を通して自分たちが得られることも表現したいと思っていた中、『美術館ができるまで』にまさにそれらが記されていたことを知り、林田さんは佐々木さんと出会った。トークイベントではゲストとしてご登壇頂いた。

トークイベントにご登壇いただいた佐々木良さん:豊島美術館の設立メンバーの一人であり、書籍「美術館ができるまで」の著者

【豊島事件の概要】
豊島事件とは、悪徳な産廃業者が100万トンにも及ぶ産廃を島の中に不法投棄し、放置していった過去を指す。
産廃が捨てられ始めた正確な年代が不明ではあるが、1975年と推定されている。
産廃を扱う業者が島で事業を行うことを許可したのは香川県だ。事業の拠点が産廃業者の所有する土地だったことや、事業自体も車や電化製品から出る廃材の金属片を集める行為であり、集められたものはゴミではなく金属(価値のあるもの)として使用するとされており、事業停止を求めるに至らなかったようだ。

しかし問題が露わになった頃には産廃業者はすでに立ち退いており、島に残されたのは約100万トンにも及ぶ産廃だった。島の住民は責任は産廃業者に許可を出した香川県にあると訴えた。処理に多額の予算を必要とするこの事件は豊島住民と香川県との間での抗争が20年以上続いた。

この事件は大量生産・大量消費が間接的な要因の一つだと言われている。
それではなぜ豊島で事件が起こったのだろうか。

[イベントレポート]林田真季 写真展「Almost Transparent Island」❷へ続く

文責:久光菜津美
編集:林田真季、松村和彦、後藤由美