Picture of My Life エッセイ⑦ – 写真学生 上田順平

Reminders Photography Stronghold Galleryはいよいよ今年の11月に4周年を迎えます。今年の記念企画展には上田順平 写真展『Picture of My Life 』を開催いたします。上田順平は2015年度にRPSにて開催されたPhotobook As Objectワークショップで写真集プロジェクト「Picture of My Life」に取り組みました。およそ一年以上をかけて完成した本の刊行および写真展になります。この展示に先駆け、展示作家上田順平によるエッセイの連載をしております。第七回目は「写真学生」です。

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「今年の7月に世界が破滅するって、予言者が言うてたらしいけど、なんも起こらんかったな。うちの家族は去年ぶっ壊れたけど…。世界なんか全部終わったらええのに…。」1999年12月、両親の一周忌が終わった後、僕は兄に言った。

両親の死後、時間は何もなかったように流れて、世間は僕に生きることをしいる。内臓がもぎ取られたような痛みがある。思考を前に進めることが出来ない。“現実を受け入れる” なんて理性的な言葉があるけど、自分ではコントロール出来ない力で、この言葉を拒否している僕がいる。両親の自死を思い出すことと、憐れみの目を向けられることが苦痛だった。そのうち人とうまくコミュニケーションが取れなくなった。両親の自死が人に言えない自らの欠落となり、人の目を見ることができない。父が作った家族アルバムは押し入れにしまって見ないようにした。できるだけ何もせずに、ただ眠っていたかった。

家族6人で暮らした大きな家に22歳の僕1人で住んでいた。脱いだままの服が散らかり、観葉植物は枯れ、あんなに綺麗だったリビングが埃にまみれた廃墟のようになった。家は住む人によって生き物のようにその姿を変える。家族みんなで住んでいた頃の清潔で安定した空間は、あっという間に不安定な僕の内面を反映した。ただ、時間が流れて少しづつ両親の記憶が薄れることは僕にとっては救いでもあった。食べるために働き、新しい情報を入れ、目の前を写真に収めて前に進む。生きるための作業を行うことで、少しづつ両親を思い出さない日が増えていった。

両親の自死を核にした写真作品を作りたい。悲しみにくれる自分とは別に、作家として冷酷に両親の自死を値踏みしている僕がいる。両親の相次ぐ自死が表現する愛と絶望を直視して具現化すること。父が自死を前に編集した家族アルバムを見たときに僕を貫いたあの感覚を人に見せることが出来れば、凄いものになると確信していた。

23歳で写真学校の夜間部に入学して技術を学んだが、祭壇や遺骨の写真を人に見せることができなかった。この頃の写真を見ると感情が乱れて、写真を素材として扱えない。写真で生計を立てることを考え、雑誌で人物紹介の写真を撮ったが気持ちが入らない。何度か試して自分が撮影する意味を見つけられずに辞めてしまった。僕の思う写真はこれじゃない。だけど、自分のために撮った写真は孤独なものばかりで、人に見せたくなかった。自分の求める写真がどんなものなのか分からない。このころの写真は僕に自らの孤独を突きつけるだけだった。次第に写真に関わることの全てが苦痛になっていった。26歳の僕の人生を前に進めるのは写真ではなく、自立した大人になることだと思った。家族で過ごす、なんでもない幸福が欲しかった。

—-第八回へ続く。

これまでのエッセイを読む:
Picture of My Life エッセイ① – 父の絵 上田順平
Picture of My Life エッセイ② – 両親 上田順平
Picture of My Life エッセイ③ – 逃避旅行 上田順平
Picture of My Life エッセイ④ – 悪い夢 上田順平
Picture of My Life エッセイ⑤ – 死の淵 上田順平
Picture of My Life エッセイ⑥ – 家族アルバム 上田順平こうしたエッセイも含む写真展に関する情報はフェイスブックで随時更新しています。https://www.facebook.com/events/886439928152952/
写真集’Picture of My Life’のご予約受付は終了しております.