[イベントレポート] 岡本裕志 写真展「We do not need you, here. / If I could only fly.」

第16回RPSグラント 受賞者 岡本裕志 写真展「We do not need you, here. / If I could only fly.」 from REMINDERS PHOTOGRAPHY STRONGHOLD on Vimeo.

2018年7月1日に行われた岡本裕志 写真展「We do not need you, here. / If I could only fly.」のオープニングイベントにてお話いただいた内容を元に作品の背景を記事にして公開致します。岡本さんは年に2回の公募が行われているRPS GRANTの第16回目の受賞者です。日本人では2人目の受賞となります。

RPS GRANTは世界中に10人以上の審査員がおり、応募者の作品に0~5点を入れ、その合計点からグラント受賞者を決定します。受賞者には翌年のRPSでの展示資格が与えられます。

岡本さんは2016年1月に企画展として「Recruit」の展示を行なっており、RPSでは2度目の展示となります。


「We do not need you, here. / If I could only fly.」は2016年度、トゥーン・ファン・デル・ハイデン氏、サンドラ・ファン・デル・ドゥーレン氏と後藤由美によって開催されたPhotobook Masterclassにて発展され、2017年10月より写真集の販売を開始されました。
現在も販売を継続しております。詳しくはこちらをご覧ください。


【事件の概要】
本作が取り扱うのは後に「自己責任論」という言葉を生んだ、2004年4月に起きた当時イラク戦争中のイラクで武装勢力によって日本人3名が拉致され、人質となった事件。当事者である3名はそれぞれフリーフォトジャーナリスト、NGOワーカー(ボランティア活動家)、そして高校を卒業したばかりの18歳の少年。その少年こそ後に本作の作家である岡本さんと友人になる今井紀明さんでした。

彼(今井さん)は学生時代からボランティア活動に精を出す少年で、当時所属していた市民団体では劣化ウラン弾反対の啓蒙活動として絵本を作っていました。その劣化ウラン弾による被害の取材のために彼はイラクに足を運ぶことになります。

そして事件は起きました。イラクの武装勢力によって3名の日本人が人質として捕らえられ、テロリストから脅しを受けているような映像が送られてきます。彼らの日本政府に対しての要求は、当時駐留していた自衛隊を撤退させることでした。しかし日本政府はそれを拒否。

8日間の拘束の後、最終的には危害を加えられず3人は解放され、平和的に日本へ帰ることができました。
しかしこの事件がさらに大きいものとなったのは彼らが日本に戻ってきた後のことでした。

イラクに赴いた3名は全員、民間人であり、政府機関などのそこに行く義務を持つ立場の人間ではありませんでした。
そのため世論としては、イラク戦争中の危険なところに好き好んで行った人たちの救出のためになぜ国からの税金を使わなければならないのか。自己責任で起きた事件をどうして国側が救う必要があるのか。マスメディアも含めて、事件そのものではなく彼らの「自己責任」について問い詰める言葉で溢れることとなりました。

バッシングの矛先は彼ら自身のみならず、家族にも向き、自己責任を問われました。100通を超える批判の文章が書かれたハガキや便箋。鳴り止まない電話やFAX。顔は広く知らしめられ、日本社会に居場所を失くし、人目を避けて生きていた時期もあったと言います。

【プロジェクトの始まり】
当事者の今井さんと本作家である岡本さんは大学時代の先輩後輩にあたります。知り合ったばかりの頃は今井さんがそういった遍歴を持っていることは知らなかったと言います。

岡本さんの前作「Recruit」を作った頃にその本を彼に見せると強く関心を持ち、彼自身のこと(イラク人質事件当事者)に関してこういう見せ方や方法があるのなら協力すると言ってくれ、プロジェクトを始めることとなりました。
まず事件に関する資料がどれほど残っているのかを知るために彼の実家である北海道を訪ねます。そこにはダンボール8箱分ほどの様々な記録が残されていました。

多様な論点を持つ事件を取り扱う中で、今井さん個人に焦点を当てながらも悲劇的な物語として伝えることは避け、自分なりの視点での提示を模索していました。
そして資料を眺めるうちに関心を持ったのは事件そのものやバッシングの実態、イラク人質事件における自己責任論などではなく私たちが身を置く「日本社会の構図」についてでした。


【主題として伝えたいこと】
今井さんらは当時、社会を騒がせ、社会から叩かれ、大きな影響を及ぼしました。しかしこれは特異なことではなく、類似したケースは日常的にたくさんあるのではないかと作家は気づきます。家庭内や学校、職場など社会全体にそれらは見られるもののように思われたのです。
つまり集団の中で何かミスをしたりトラブルを起こした人間に対して、集団で排斥をしていくような動き、構図が世の中で蔓延しているということです。

今回バッシングを受ける結果となった今井さんは極端なケースであったとしても、同じような立場(=バッシングを受ける側)にはいつ誰でもなりうる可能性があるのです。それが集団主義を唱える日本社会の条件であり性質なのです。

このプロジェクトの1つのキーワードになっているのが「後ろ指」
「後ろ指」= 人を後ろから指をさして非難すること。陰で悪口を言うこと。
彼は今回の事件を通してその経験をしました。
今井さんは事件後、街を歩けば見知らぬサラリーマンから「非国民」という言葉とともに殴られ、自分の顔は知れ渡っているように思え、人々からの視線は非難の目に見えたと言います。
そしてそれらは不特定多数、誰かもわからないような人から向けられる批判でした。届いた批判の手紙に記されている「We」という言葉。その「We」は一体誰を示しているのか。見えないものからの批判や否定が彼をさらに混乱させ苦しめていました。

誰になぜ怒られているのか。「自己責任」というアバウトな言葉と誰に対してかわからない罪悪感と謝罪要求。それらが終わりのない形で続いていました。


【本当の意味で理解すること】
届いた手紙の内、95%程は匿名。全体の5%に満たないものにしか書き手の住所がわかるものはなく、中には偽名のものもあったと言います。当時、事件は大手メディア各所で取り上げられ、みるみるうちに自宅住所は特定され、郵便番号3桁のみで届いてしまうようなものもありました。


事件から1年半ほどが経った頃、今井さんはその書き手のわかる全てに返信を始めました。
その手紙の中で何通か続いた(コミュニケーションになった)ものがあります。その一例は以下の通り。

書き手は高齢者の女性。
1通目は不特定多数の人々と同じようにバッシングから始まりました。「バカヤロウ」「生意気」「自分中心」等の言葉。

2通目になると、まず返信がきたことへの驚き、そして自分がどうして許せないのか理由が綴られています。
自分には先天的に身体的な障害があり、その後事故に遭ってさらに障害を負っている。現在は障害者年金で暮らしているなど社会的なマイノリティーにあることが書かれていました。
それらは自分が社会に助けてもらって生きてきたからこそ、社会に仇をなすあなたが許せないという言葉でした。

そして3通目。「がんばってね」で終わる文章。
相手側の話し(書き)方が変わっていく様子が見られました。
今後のため、医者になるために医学の学校に行くことを勧めたり、新聞社に入るための道を見つけてみてほしいなど。過去を責め立てる文章から未来の話へ展開されていったのです。

見えない誰かに名前がついたことでバッシングから始まったものが、コミュニケーションを成立させたのでした。受け入れられることはなくとも、理解をしてもらうことができたのです。

©Hiroshi Okamoto

【岡本さんの作家性】
岡本さんは前作「Recruit」も含めて自分自身に起きたことではない、他の(知り合いの)誰かのことをプロジェクトにしています。そしてそれらは実態を問題提起するのではなく、岡本さんの解釈を含めた上で語られています。
客観的すぎず、主観的でもないその姿勢はどこからくるのでしょうか。

「RPSのワークショップを経てオランダの写真家やブックデザイナーなど尊敬する人に出会えた。それまでは社会的な問題を扱う写真家やアーティストの距離感がわからなかったように思う。しかし自分の個人的な解釈を含めて表現化していく行為があることに惹かれて、その方法を自分もやってみたいと感じた。そしてそれらには丁寧で非常に細かい事前調査があること。一方的な解釈だけではない、下地がある上での解釈であることが大事であると考えている」と言います。

写真で物語を語る構造は単純ではありません。その複雑な構造を鑑賞者にどう見せればいいのかは作家が悩み抜かなかければなりません。
わかりやすい画があればそれでいいと思う人もいますが、今回のようにそれでは本当のことが伝えられないケースがあります。メディアが取り上げた「本当」の裏側にある真実を伝えるために作家は仲介の立場から語るのです。
主観的になりすぎると当事者にしかわからないものになってしまう。
そこに普遍性を持たせることが重要なのです。

©Hiroshi Okamoto

文責・写真:久光菜津美
編集:岡本裕志、松村和彦